松倉城  No16204−03 (まつくらじょう)       

本丸の南西方向 本丸・二の丸間の堀切

城郭の概要                  
別  名 : 鹿熊城、松蔵城、金山城、
所在地 : 魚津市鹿熊字城山
築城年 : 南北朝時代
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、空堀、石積、虎口、井戸、
訪城日 : 平成24年11月3日

歴   史

松倉城の築城年代、築城者ともに定かでなく、文献上の初見は、南北朝時代の暦応元年(1338)越中守護の普門(井上)俊清が、京へ攻め上ろうとする南朝方の越後勢と境川で戦い敗れて松倉城に立て籠ったとの『太平記』の記述である。
康永3年(1344)俊清は南朝方に通じて守護を罷免され、能登守護吉見氏頼と新たに守護に任じられた桃井直常に攻められ、貞和4年(1348)には松倉城を捨て山内城に逃れた。これにより松倉城は直常の属城となった。
この直常も観応5年(1350)に松倉城を拠点に幕府に対して反旗を翻したが、連携する南朝勢力が次第に衰退し、遂に応安3年(1370)松倉城は落城、桃井氏は没落していった。
桃井氏没落後は在地勢力の椎名頼胤の持ち城となり、椎名氏は康暦元年(1379)越中守護として赴任した畠山基国に出仕し、応仁の乱(1467〜77)の際には畠山政長を擁して東軍に属して戦い、乱後に新川郡守護代に任命され、増山城主神保氏と越中を二分する勢力へと成長していった。
永正16年(1519)神保慶宗が守護畠山氏から独立しようとした際、椎名慶胤も神保氏に与したが、守護畠山尚順の要請で来援した越後守護代長尾為景と戦い敗れ、以後、椎名氏は長尾氏に従うことになった。
椎名氏の後ろ盾になって来た長尾為景が天文5年(1536)死去すると、増山城主神保長職が郡境である神通川を越えて新川郡に侵攻し、天文12年(1543)富山城を築き椎名長常を圧迫した。これは上杉謙信の出兵を招くこととなり、永禄3年(1560)長職は謙信に富山城を追われ、その後は増山城を拠点に武田信玄と結び椎名氏攻略を続けたが、永禄5年(1562)再び謙信の進攻を受け遂に降伏した。
永禄11年(1568)椎名康胤は武田氏に寝返り上杉氏配下より離脱。しかし翌年、康胤は謙信に松倉城を追い落とされ、その後も一向一揆衆とともに各地で抵抗したが、天正4年(1576)越中蓮沼城で自刃に追いやられた。
その後の松倉城は上杉氏家臣の河田長親などが城番として在城したが、天正10年(1582)織田軍により魚津城が攻撃を受け、天神山城、松倉城に駐屯していた上杉軍も退却して城は放棄され、魚津城も落城してしまった。しかし、信長が本能寺の変により討たれたことで織田軍は退却し、再び上杉軍が魚津周辺を奪還したが、翌天正11年(1583)には佐々成政が魚津城へ再侵攻してきて、魚津城主須田満親が城を明け渡して撤退したため、成政が魚津周辺を支配するようになり、松倉城も成政の持城となった。
天正13年(1585)成政は羽柴秀吉の征伐を受けて越中を去り、松倉城も前田氏の持ち城となって魚津城の管理下に置かれた。その後、慶長年間(1596〜1615)若しくは元和の一国一城令で廃城となったようである。


構造と感想

松倉城は、増山城・守山城とともに越中三大山城の一つとされ、魚津市の南東約5km、西を早月川、東を片貝川に挟まれた鹿熊地先の角川こ西面した丘陵上に築かれている。この周辺には水尾城、升方城、北山城、坪野城、天神山城などの支城や砦が配され、椎名・上杉氏時代は山越えの道と金山を押さえる重要な城であった。
松倉城の構造は、角川ダムのダム湖東側に聳える丘陵頂部に本丸を置き、東に続く尾根上に堀切を隔てて二の丸、三の丸、四の丸が配され、北に延びる尾根に広い平坦面となる大見城平まで高低差の大きい何段もの郭が設けられている。本丸の北西側にも堀切を隔て八幡堂(見張り台と思われる小郭)がある。
この小郭や本丸からの眺望は素晴らしい。郭面は良く削平され、土塁や虎口も残っている。堀切の幅は相当広く、各郭の独立性が強いように思える。それぞれに良好な遺構が残っており、見どころの多い城である。


道 案 内
北陸自動車道の魚津インターを降りて県道52号線の東方向に入り、2.1km程東進した石垣交差点を右折し新川広域農道に入る。広域農道を道なりに北西方面に進み4.1km程行った観音堂交差点で左折し県道33号線に入り、南方向に1.9km程行くと松倉小学校前を通過する。さらに2.4km程道なりに南下すると角川ダムに至る。ダムより550m程先に松倉城林道登り口があり、道案内標識に従い3km程の山道を登ると本丸下の駐車場に至る。10台は駐車可能。

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現地の縄張図

 
  城址碑            三の丸の虎口と土塁

 本丸の石積               本丸の腰郭

 
        井戸跡               本丸からの眺望