天神山城  No16204−01 (てんじんやまじょう)       

本丸と櫓台 竪堀

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 魚津市小川寺字天神山
築城年 : 戦国期
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、竪堀、櫓台、井戸、
訪城日 : 平成24年11月3日

歴   史
天神山城は、戦国期に越中国東部を支配した松倉城を本城とする椎名氏が支城として築いたと考えられている。永禄3年(1560)富山城主神保長職に攻められた椎名康胤を救援するため、長尾景虎(後の上杉謙信)が越中に出陣し、この頃に天神山城を改修したと推測されている。
永禄11年(1568)康胤が謙信に背き武田信玄と通じたため、翌永禄12年(1569)謙信は松倉城・魚津城を攻め、これを落城させた。康胤は越中を追われ、この後、一向一揆衆とともに各地を転戦したあげく、謙信に許しを請うたが認められず、天正4年(1576)越中蓮沼城で上杉方の攻撃を受けて自刃している。
天神山城は、松倉城・魚津城とともに上杉方の支城となり、天正10年(1582)越中に侵攻した柴田・佐々・前田氏ら織田信長の武将達が松倉城・魚津城を攻めた魚津合戦では、上杉景勝が救援のため出陣してこの天神山城に本陣を置いたが、越後本国での謀反によりやむなく撤退、魚津城を救うことはできなかった。

構造と感想
天神山城は、南を片貝川、北を布施川に挟まれた小高い丘陵上に築かれており、西に位置する魚津城を見下ろせる位置にある。
山頂部を二段に削平して本丸と二ノ丸を配し、主郭南側の中央に一段高い櫓台が置かれ、その東側に土塁が延びている。櫓台には天神社が祀られ、西に向かうと太子堂や善光寺の寺務所が建てられており、改変を受けている可能性がある。
なお、南北斜面の中腹部には幾段もの帯郭や腰郭が設けられている。南側の腰郭群は大規模で居住空間とされる。しかし、それらは山林に覆われ、散策ルートはない。北側斜面には三本の竪堀が入れられているが、それらを断ち切るように付けられた車道から見ることが出来る。
上杉景勝が救援のため出陣して本陣を置いた山城だけあって大規模である。

道 案 内
北陸自動車道の魚津インターを降りて県道52号線の西方向に入る。県道52号線を西に600m程行った本江東交差点で右折し国道8号に入る。国道8号を北に910m程行き吉島西交差点で右折し県道132号に入り、東に170m程の吉島交差点を左折する。県道128号線に入り北東方向に1.4km程行き、橋を渡った東尾崎交差点を直進する。そこから500m程行った交差点で右折し県道330号線に入り道なりに1.7km程東進してお城の案内ある所で右折し200m程で「魚津歴史民俗博物館」があり、博物館に駐車してそこから歩いて登る。
山頂付近まで車で行ける道があるが、博物館から先は進入禁止になっている。

TOPへ 戻る



  
      本丸の土塁        城址碑