中山砦  No19408−01 (なかやまとりで)       

主郭の仕切土塁とその虎口 三日月堀

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 北杜市(北巨摩郡)白州町横手
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、横堀、
訪城日 : 平成22年11月20日

歴   史
中山砦は、釜無川流域の武川筋を拠点として中世を通じて活躍した地域的武士集団である武川衆が護り、甲斐国の北の要として極めて重要な役割を果たしていた。
天正10年(1582)武田氏が織田信長に攻められ滅亡し、また、その信長も本能寺の変で倒れ、空白となった武田氏の遺領をめぐって徳川家康と北条氏直が争った天正壬午の乱が起こると、武川衆諸士は徳川氏に帰属し、中山砦を警固し、北条軍を相手に活躍したとの史料が残っている。

構造と感想
中山砦は、釜無川の右岸に東西に横たわり、北を尾白川、南を大武川に挟まれた独立峰である中山(標高887m)の山頂を中心に築かれている。
基本の構造は単郭で、南北に細長い山頂部の四囲を分厚い土塁で囲繞し、中央付近に仕切り土塁を入れて二つの区画に区分した主郭を置き、仕切り土塁の中央に虎口を設け、両区画を行き来できるようにしている。北区画の南東部に虎口が開き、出て右に折れ東斜面の帯郭へ下りて南に向かうと主郭南側一段下の小さな腰郭に連絡している。腰郭の一段下には三日月堀を設け、東斜面の帯郭はもう二段が設けられている。そして、山頂から北東、北西、南東に伸びる尾根を堀切や竪堀で遮断し、防御を固めている。
やや雑木が多いが主郭部の遺構は明瞭で巨大な土塁や虎口、また周囲の三日月堀や堀切、竪堀も良好な残り具合であり、全体に見応えのある遺構が楽しめる。

道 案 内
中央自動車道の須玉インターを下りた玉須インター入口交差点で右折し国道141号に入る。国道141号を北に1.4km程行った薬師堂橋東詰交差点で左折し県道611号線に入る。県道611号線を道なりに3.5km程行くと釜無川橋を渡る。橋を渡って400m程で国道20号との牧原交差点に至る。この交差点を直進し県道612号線に入り、道なりに4.1km程西進した所で右斜めに折れて大武川を渡る。さらに900m程道なりに西進したT字路で細い道に右折する。細い道を290m程北上した所で右折し林道に入る。林道を1.1km程登ると中山峠で登り口の案内板があり、登城口に小スペースがある。案内板の中山遊歩道入口の方向に進む。

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説明板の縄張り図            腰郭                 

 
主郭虎口外より              北尾根の堀切

 
    主郭北区画の城址碑と土塁       登り口案内版