一夜の城  No20209−07 (いちやのじょう)       

東側の虎口 東側から南側の土

城郭の概要                  
別  名 : 一夜城
所在地 : 伊那市富県貝沼
築城年 :
形  式 : 平城
遺  構 : 土塁、虎口
訪城日 : 平成30年3月18日

歴   史
天正10年(1582)織田信長の嫡男信忠は父より甲州征伐の命を受け総勢3万とも5万とも云われる軍勢を率いて2月3日に出陣した。15日には飯田を占領し、29日には飯島へ到着、高遠城に立て籠もる武田信玄の五男 仁科五郎盛信に降伏を勧告したが、盛信はこれを拒否、使者として訪れた僧の耳を削ぎ落とし、徹底抗戦の意を表したとされる。信忠は、3月1日飯島から軍勢を動かし、天竜川を越え貝沼原に軍を展開させ、一夜の城に本陣を構えた。翌日、早暁から高遠城への猛攻を開始、その日のうちに陥落させた。盛信は奮戦叶わず自刃して果てた。
なお、この城については、高遠城攻略において一夜にして堡塁を築き、本陣を構えたとの伝承が残っていたが、平成24年以来の6回の調査で、この地の土豪の館を織田軍が接収、改修して利用した可能性が高いことが分かった。

構造と感想
高遠城の西6kmに位置している。
一辺が50m程の方形の居館跡で、四囲に土塁が残存している。土塁の最大高は約3m、底辺幅は約3mで、東側中央に虎口を開いている。虎口付近には石積が施されている。
織田軍が高遠城攻めの本陣を構えるにあたり、堀を深く掘り下げて土塁を高くしたと発掘調査から推定されている。
なお、生活道路拡張の為に東側土塁を半分程度取り崩す計画があるが、甲州征伐の貴重な遺構ではあり、現状を保存していただきたいものである。

道 案 内
中央道の伊那インターを下りて県道87号線の南東方向に入る。そのまま南東方向に2.8km程行くと国道153号との水神橋西交差点に至る。その交差点を右折し1.1km程南西方向に走り入舟交差点で左折し国道361号に入ると直ぐに大橋を渡る。引き続き国道361号を東に4.3km程進み、右に玉雲寺がある新山入口交差点で右方向の県道210号線に入る。680m程先で県道は大きく右にカーブし、南に500m程行くと三峰川橋を渡る。渡った直ぐの三峰川橋南交差点から400m程先で鋭角に右折し県道209号線に入る。同県道を道なりに2km程行くと上組のバス停があり、その80m程先で左折し路地に入り、70m程先で右折すると直ぐ左手に城跡がある。周辺の道路余白に駐車可。

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城内の北東方向            東側土塁の内側