高遠城  No20209−05 (たかとおじょう)       

本丸北東側の空堀と問屋門 丸南方向

城郭の概要                  
別  名 : 兜山城、甲山城
所在地 : 伊那市高遠町東高遠
築城年 : 天文16年
形  式 : 平山城(800m/50m)
遺  構 : 空堀、土塁、石垣、移築城門、再建櫓、
訪城日 : 平成30年3月17日

歴   史
築城時期は定かでないが、この地を領した諏訪神氏の流れを汲む高遠氏によって築かれたと考えられている。
戦国時代の高遠頼継は、諏訪氏惣領の諏訪頼重と反目し、天文11年(1542)6月武田晴信と牒し合わせ諏訪に攻め込んだ。頼重は上原城から桑原城に移り抵抗を試みたが降伏し、諏訪郡は宮川を境として西側を高遠氏が、東側を武田氏が領することになった。
しかし、頼重は諏訪氏の惣領となって諏訪郡のすべてを手中にしたいと考えており、同年9月武田方の上原城を襲撃し下諏訪に放火して上・下社を占拠した。
これに激怒した晴信は、頼重の遺児虎王を擁して出陣。安国寺前の宮川で合戦に及び高遠勢は大敗を喫し、片倉まで追撃を受けて散々に敗れ去った。
その後、天文14年(1545)武田氏は伊那に侵攻し、これを受けて頼継は自落し、高遠の地は武田氏の支配下に入った。晴信は高遠城を伊那谷の拠点とするため、天文16年(1547)に山本勘助、秋山信友に命じて拡張改修を行なった。
高遠城が武田氏の持城となると、保科正俊、次いで秋山信友、永禄5年(1562)には諏訪氏の名跡を継いでいた諏訪勝頼(武田勝頼)が城主となった。元亀2年(1571)勝頼が武田家の後継者として甲斐に呼び戻されると、その後には信玄の弟の信廉が城主となった。
天正9年(1581)武田氏と織田氏との対立が激化すると、信玄五男の仁科盛信(勝頼の弟)が城主になったが、翌天正10年(1582)年2月、織田信長は武田氏を攻め滅ぼすため、長男信忠に5万の大軍を与えて高遠城に迫らせた。高遠城に籠もる仁科盛信以下3千の兵は、織田信忠の降伏勧告に応じず、凄惨な戦いのすえ全員が玉砕して落城した。
この戦いのあと、織田軍は信濃から甲斐へ怒濤の如く攻め上がり、これに対して武田勝頼は為す術もなく逃亡し、天目山麓で自刃、武田氏は滅亡した。これは高遠城の戦いからわずか9日後のことであった。
織田氏支配のもと高遠城攻めに功のあった毛利秀頼が高遠城主となったが、そのわずか3ヵ月後に本能寺の変が起こり、甲斐・信濃の武田遺領を巡る天正壬午の乱が勃発。上伊那では諏訪氏の一族で福与城を拠点としていた藤沢頼親が復帰したが、旧武田家臣の保科正直が小田原北条氏の助力を得て田中城を攻め、頼親・頼広父子を自害に追い遣った。その後、保科正直は家康配下に入り高遠城主となった。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の後、関東に移封となった徳川家康に従い保科正直・正光父子は下総国多古へ転封となり、秀吉家臣の毛利秀頼が再び伊那郡を領したが、秀頼は飯田城を居城とした。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦の後、再び保科正光が高遠城主となり、寛永8年に(1631)没すると家督は幸松丸改め保科正之が継ぎ、後の会津藩松平氏の祖となった。
江戸時代には、京極氏・保科氏・鳥居氏と城主は交代したが、元禄4年(1691)内藤清枚が入封し、高遠城は内藤氏8代の居城として明治維新を迎えた。

構造と感想
高遠城は三峰川と藤沢川が合流する地点の東側にある比高70mの台地の西端に築かれており、現在は国指定史跡に指定され「高遠城址公園」として整備されている。
高遠城の構造は、方形に近い本丸の北側に二の丸、更に北に三の丸、南側に笹郭、南東側に南郭、法幢院郭、西側に一段低い勘助郭が配され、各郭間は大きな深い空堀によって区画されている。また、各郭は広大で、大規模な城郭である。
本丸には、本町の問屋役所からの問屋門や廃城時に新設された太鼓櫓が白山から移築され、問屋門の両サイドには土塁も残存している。二ノ丸にも土塁が残る。三の丸には、当城の大手門が移築され残されている。しかし、高遠城の見所はやはり本丸周囲をはじめとする深く明瞭な空堀であろう。
なお、高遠城は桜(タカトウコヒガンザクラ)の名所となっており、開花の時期は大変に混雑しているので、訪城は控えた方が無難である。

道 案 内
中央道伊那インターを下り県道87号線の南東方向に入る。そのまま南東方向に2.8km程行くと国道153号との水神橋西交差点に至る。その交差点を右折し1.1km程南西方向に走り入舟交差点で左折し国道361号に入ると直ぐに大橋を渡る。引き続き国道361号を東に進み、9km程先の高遠町中心部を通り抜けて藤沢川を渡る。その先の高遠公園下交差点で右折し国道152号に入る。150m程進み「高遠城址」の道路案内板の出ているT字路で左折し県道211号線に入る。そこから60m程先のT字路で左折し道なりに550m程行った右手が高遠城址公園駐車場である。

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本丸の土塁             二の丸と土塁

 
二の丸の北東側空堀    勘助郭を見下ろす

 
大手門                    太鼓櫓