高天神城  No22447−01 (たかてんじんじょう)       

西峯西側の畝堀 西峯の西側横堀の土橋

城郭の概要                  
別  名 : 土方城
所在地 : 掛川市上土方嶺向
築城年 : 永正12年(1515)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、横堀、井戸、
訪城日 : 平成23年2月26日

歴   史

築城年代は定かではないが、永正12年(1515)今川氏親が土方郷に高天神城を築き、重臣福島正成を城代として入城させ、南遠地方を治めたとされる。
天文5年(1536)正成は、今川氏の後継者争いの花倉の乱で梅岳承芳(のちの今川義元)に敵対したが、敗れて甲斐に逃走し、義元はその跡に小笠原長忠を配した。
永禄3年(1560)義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれると、今川領は次第に武田氏と徳川氏に浸食され、永禄12年(1569)遂に戦国大名今川氏は滅亡し、長忠も徳川家康に降り、高天神城は家康の属城となった。
元亀2年(1571)3月武田信玄は2万を越える軍勢を率いて駿河から大井川を越え遠江に侵攻し、高天神城を内藤昌豊に攻めさせ、縄張りや守備の固さを確かめると、北遠に抜け甲府に帰った。翌元亀3年(1572)天竜川沿いに南下して遠江に進攻、二俣城などの諸城を落城させ、さらに浜松城の家康を三方ヶ原に誘い出し、これを撃破した。しかし、翌元亀4年(1573)4月信玄は三河を進軍中に病没し、その跡目を勝頼が継いだ。勝頼もまた遠江の獲得を目指し動いた。
天正元年(1573)勝頼は遠江に出陣し、諏訪原城を築かせ、翌天正2年(1574)5月2万余の軍を率いて諏訪原城を出撃し、1ケ月に亘る攻防ののち6月17日高天神城の攻略に成功した。高天神城を手に入れた勝頼は、岡部真幸(元信)、横田甚五郎尹松らを城将として入城させた。
しかし、天正3年(1575)5月勝頼は長篠合戦で織田・徳川連合軍に大敗を喫し、これを好機と見た家康は諏訪原城を攻略し、天正6年(1578)には高天神城への備えとして横須賀城を築き、さらに周囲の三井山、山王山、宗兵衛山などに六砦を築いて、高天神城の補給路を遮断した。天正9年(1581)3月兵糧が尽きた籠城兵は城を打って出たが、城将岡部真幸は大久保忠教に討ち取られ、遂に高天神城は落城した。これにより東遠江から武田勢は一掃され、高天神城は廃城となり、以後、横須賀城が拠点とされた。


構造と感想

高天神城は、東遠と中遠の境目に聳える小笠山山稜から南東部に張り出した標高132mの天神山に築かれており、東遠の各所から望むことができる山城である。
『高天神を制するものは遠州を制す』と云われるほど重要な城で、また、要害堅固を誇ることから、武田信玄・勝頼と徳川家康により激しい争奪戦が繰り広げられたことで有名である。
高天神城は、平行する東峯と西峯の二つのブロックからなり、本丸のある東峯が今川・徳川氏時代に構築されたもので、急峻な地形を利用して切岸と土塁などで防御する構造である。西峯は天正2年(1574)以後の武田氏治下に築造された新城で、堀切や横堀によって防御する構造で、両者を併せて別城一郭式山城になっている。
東峯は、峯筋に段状に郭を配置し、中央が御前郭を含む主郭、北下に二の郭(千畳敷)と二段の腰郭、主郭の南下に徳川が付加した土塁に囲繞された三の郭(与左衛門平)が構築されている。下段の腰郭からは東西の山腹に向け移動通路の犬走が延びている。二の郭と上段の腰郭にも土塁が築かれている。
西峯は、中央の主郭(丹波郭又は西郭)を頂点に、北へ向かって二の丸、堂ノ尾、せいろう郭と続いている。主郭は一段高く急峻な切岸を持ち、北裾に東西に三段からなる二の丸があり、その東側一段下がって北に延びた細尾根を堀切で三区画に区分しており、北端がせいろう郭で、中央が堂ノ尾、南端が武者隠しである。主郭の西側半分、せいろう郭の北と西面そして堂ノ尾の西面に土塁が築かれている。武者隠しは西下の袖郭とその虎口を防御している。細尾根の東側は崖、西斜面が緩やかなため、長大な畝堀や横堀、堀切を北端か主郭の西側まで連続させている。主郭の南西には、細長い馬場平、東には井戸郭、南には馬の背道と物見郭が配されている。
西峯の城には、技巧に富んだ畝堀や横堀、堀切などが明瞭に残っており、この城一番の見所である。


道 案 内
東名高速道路の掛川インターを下りた信号交差点を右折し、西210m程先の上張南交差点を左折する。県道38号線に入り南に6.2km程行った小貫交差点で右折し、引き続き県道38号線を道なりに2.4km程行く。下小笠川を渡って100m程先のT字交差点を右折し、500m程北上した土方郵便局の角で左折する。西に780m程行って左折、南に突き当りまで進むと搦め手の登り口である。右手に駐車場がある。

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現地の鳥瞰図

西峯の堂ノ尾と武者隠し間堀切    東峯の二ノ郭より主郭方向

 東峯の三ノ郭南面土塁      東峯の二の郭南西側竪堀


  西峯の物見郭南側堀切      石廊崎方向を望む