菩提山城  No21361−01 (ぼだいさんじょう)       

主郭虎口の空堀と土橋 主郭虎口外の馬出しより主郭を望む

城郭の概要                  
別  名 : 菩提城、菩提寺城、
所在地 : 不破郡垂井町岩手
築城年 : 永禄2年(1559)又は天文13年(1544)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、横堀、虎口、馬出し、
訪城日 : 平成26年5月5日

歴   史
『美濃国諸家系図』に応永20年(1413)に岩手頼重が「岩手山城」に住していたと記されているが、「菩提山城」の名称の初見は天文13年(1544)に美濃守護職土岐頼芸が岩手四郎に宛てた書状で、岩手氏は漆原(白山神社付近)に居館を構え、詰城として菩提山城を築いていたと考えられている。
揖斐郡大御堂城主で斎藤氏に仕えていた竹中重元は、永禄元年(1558)岩手氏を攻略し、岩手一帯と福田、長松(現大垣市)を合わせ6千貫の領主となり、翌永禄2年(1559)に菩提山城を改築したとされる。
永禄3年(1560)重元は没し、その嫡男半兵衛重治が家督を継ぎ、美濃国主斎藤義龍に仕え、永禄4年(1561)義龍が死去した後は、その後継ぎの龍興に仕えた。
この頃、隣国尾張の織田信長が毎年のように美濃に侵攻し、義龍時代はこれをよく防いでいたが、若年で凡庸な龍興が後継ぎとなり家臣団が動揺する。そんな中、永禄4年(1561)7月織田勢が美濃に侵攻してくるが、斎藤勢は重治の伏兵戦術でこれを破ったとされる。永禄6年(1563)にも新加納で織田勢と戦い、このときも重治の戦術で斎藤勢は勝利したと云われる。
しかし、龍興は酒色に溺れ政務を顧みようとせず、永禄7年(1564)2月重治は主君を諌めるため、弟重矩や舅安藤守就と図り、僅か16、7人で龍興の居城稲葉山城(後の岐阜城)を奪い取り、8月には自ら稲葉山城を龍興に返還した。その後、斎藤家を去り、北近江の小谷城主浅井長政の客分として東浅井郡草野に3,000貫の禄を賜るが、凡そ1年で禄を辞して旧領の岩手へと戻り隠棲した。
永禄10年(1567)斎藤氏は織田信長に滅ぼされ、重治は羽柴秀吉に三顧の礼で迎えられ、名軍師として活躍するが、天正7年(1579)播磨三木城攻めの陣中において病没した。
その際、嫡男重門はまだ幼く秀吉の元で養育され、菩提山城は一族の竹中重利が守り、成長した重門が天正16年(1588)岩手に戻ると岩手城を構え居を移したため、山城の菩提山城は使われなくなり、廃城になったとされる。

構造と感想
菩提山城は、美濃と近江の国境に連なる伊吹山系の東端にある標高401.1mの菩提山の山頂に築かれている。その規模は、東西約150m、南北約300mを測る西美濃最大級の山城である。
構造は、南北に細長い山頂部に同じ高さで主郭と副郭を配し、両郭を区画する食違いの空堀を穿ち、主郭南東隅の土橋を出ると三日月堀と土塁を伴う馬出し、馬出し内で右に折れて西に向くと空堀間の土橋虎口、続いて桝形、桝形西面には土塁を付帯させ虎口を造り、二重構造の複雑な虎口となっている。桝形から南に入れば馬出し機能も果たす副郭である。桝形を西に出ると一段下がって虎口受けがあり、右に折れて坂土塁を降ると台所郭へ、左に折れて降ると副郭と台所郭から横矢が掛かる虎口である。この虎口は副郭の西側切岸と台所郭のL字状土塁、土塁南側は西へ落ちる竪堀でその間の通路は人一人がやっと通れる細いもので、堅固に守られた見事な虎口である。これを出ると副郭の南西下になる三ノ郭、巨大な堀切を隔てて出郭と続き、出郭の南面は土塁を設け、南側の切岸面は竪堀群とその下端に堀切を設けて複雑な防御施設を造り出している。
副郭の南東支尾根が大手で、副郭直下に堀切を設け、数段の小削平地を配した大手郭があり、その南下方を通って、三ノ郭北東隅の桝形虎口に登城路が取り付いている。
主郭と副郭を区画する北側の空堀は北西方向に斜めに落ち、主郭の裾を巡る横堀となり、北端部は竪堀となっている。台所郭の北側一段下に腰郭が設けてあり、東側を主郭裾の横堀、北面を櫓台と竪堀で遮断している。さらに、北西に続く尾根筋にもやや不明瞭な塩ヶ谷・北の水の手と呼ばれる遺構が断続して残っている。
この菩提山城の造りは、巧みであり、個々の堀切や竪堀は深く、虎口は複雑で堅固な守備を誇り、見所の多い城跡である。また、濃尾平野を一望できる眺望もすばらしい。

道 案 内
名神高速道路の関ヶ原インターを下り左斜めに国道365号に合流する。国道365号の合流から北西に190m程行った中野交差点で右折し県道56号線に入り、道なりに1.9km程行くと国道21号線関ヶ原バイパスの大高交差点に出る。右折して関ヶ原バイパスを1.5km程走った野上北交差点で左折し県道53号線へと入る。県道53号線を道なりに1.2km程行った長畑交差点で左折し県道257号線に入る。そこから660mほどの岩手小学校(東南角)手前で左折し、道なりに進みJRの踏切を越えて直ぐの三叉路を右手へ進む。250m程行くと右側に「菩提寺山城跡ハイキングコース案内」の大きな看板がある。ここから白山神社境内を通りおよそ40分階段の多いハイキングコースを上ると城跡である。看板の所に数台の駐車スペースがある。

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登り口
 
馬出しの虎口          台所郭の虎口
 
出郭南面の竪堀群と堀切        三の郭・出郭間の堀切