和田中山城  No20347-01 (なかやまじょう)       

主郭の北方向 主郭北側の三重堀切

城郭の概要                  
別  名 : 城山、中山ごや
所在地 : 小県郡長和町大門字岩井157
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、石積み、
訪城日 : 平成28年11月12日

歴   史
中山城については、『日本城郭大系』にも掲載されていないが、西側の谷を隔てて和田城があるので、和田城主・大井氏の属城と推測されている。天文12年(1543)武田晴信が小県に侵攻した際に落城したものと思われている。
なお、近世の書誌に「武田信玄公の城」との記載があるようであるが、確証はない。。

構造と感想
中山城は、和田街道(国道142号)と大門街道(国道152号)の分岐点から南に向け聳える尾根上の標高875m、比高155mに築かれている。両街道は、大門峠や雨境峠越えの道と和田峠や男女倉越えの道で諏訪へ通じ、また、扉峠越えの道で松本へ通じ、この分岐する要衝を押さえたのが中山城である。そして、東側の大門谷と西側の和田谷を見下ろす絶好の位置にあり、東西の斜面は急峻で、東側裾を大門川、西側裾を和田川が流下する天然の要害地形でもある。
東山麓が根小屋で、相馬伊勢守の屋敷があったとされ、相馬川原と呼ばれている。北の尾根先端から登ると直ぐに稲荷神社があり、さらに登って行くと水力発電所の施設がある。この間にも平坦地や石積みが見られるが、中山城に伴うものか分からない。
水力発電所の施設からもう少し登ると小段があり、両サイドに竪堀が落ちている。ここからが城域と見られる。小段の上方に堀切があって、東側を除く三方を土塁に囲まれた二つの郭が現れる。郭間の土塁は上巾が広く櫓台と見られている。二つの郭の南側に堀切があり、80m程に亘り細長い削平地が続き、その南端に食違いの竪堀と食違いの土塁を重ねた虎口と内桝形を設けている。ここから2条の堀切を越えると、急斜面を持つピークがあり、頂部に10m×15m程の広さの主郭が置かれている。主郭は、土塁が囲繞し、北側と南側に三重堀切を入れ、厳重に防御されている。石積みも残っている。主郭の背後は、馬の背尾根が180m程続き、途中に2条の堀切が入れられている。
この城の見所は、主郭を区画する三重堀切で主郭から堀切全体を見下ろせる。

道 案 内
上田市街より国道142号を南下し、長和町の道の駅「マルメロの駅」を通過し、4.3km程南下すると大和橋交差点に至り、ここで国道142号と国道152号が分岐する。左手の国道152号に入り、150m程先で右折する。町道を100m程入った左手が登り口である。付近に路駐できる。

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主郭虎口外の石積み            主郭虎口外より


主郭南側の三重堀切            土塁囲みの郭


土塁囲みの郭と櫓台         土塁囲みの郭の南側の郭

 
食い違い竪堀            登り口