荒神尾城  No20202−02 (こうじんおじょう)       

四郭から主郭を望む 主郭

城郭の概要                  
別  名 : 七嵐城
所在地 : 松本市(旧四賀村)刈谷原町錦部  
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、石垣、堀切、虎口、
訪城日 : 平成24年10月20日

歴   史
『四賀村誌』に「七嵐城(荒神尾城)中世末太田氏の構築によるもので、山は急峻で主郭の眺望も良い。『高白斎記』にある刈谷原の城はこれを指す。」と記されている。
天文22年(1553)に武田晴信が小笠原氏の本拠である林城を攻略して、その勢いを持って攻め落し城主の太田弥助を生け捕にしたのは、鷹巣根城ではなくこの城だとしている。

構造と感想
荒神尾城は、刈谷原峠の東、稲倉峠との間の尾根上のピーク(標高955m、比高250m)に築かれている。
城の主要部は、頂部の主郭と東側尾根上に連なる4段の郭で、主郭は南北17m、東西9mと小規模であるが、西面と東面に低土塁を伴い、側壁は高く急峻で所々に石垣の痕跡が残っている。東尾根に連なる二郭は台形状をした城内最大の郭で、南西端に坂虎口が開く。浅い堀切を隔て櫓台状の三郭、その下に二番目に広い三角形状の四郭が設けられ、南端に虎口が開いている。これらの郭の南下を城道が走り、主郭の南虎口へと通じている。
主郭の北と南に大きく落ち込み尾根が伸びる。北尾根は一段下の捨郭から小堀切を越え、細い岩尾根を下ると細長い平場、また細い岩尾根を下り三日月状の平場を経ると大堀切、食違い竪堀、2条の堀切と連なり、その先で尾根は二股に分かれ、それぞれに1条の堀切を入れ遮断している。南尾根は大きな落差で落ち込み、下端の堀切を経て巾1mに満たない長い細尾根が続き、その先を小堀切と2条の大堀切で遮断している。
この城は、地形の要害性に加え、何条もの堀切で防御を固め、堅固な城砦となっている。

道 案 内
松本市街地から国道143号を北進、安曇野市に入って刈谷原トンネルを通り抜る。トンネルを出て960m先の初めての信号を右折する。道なりに280m程行き四賀化石館前のT字路で右折し県道181号線に入る。250m程南東方向に進むと右手に郵便局と錦部小学校入口の小さな標柱が建つT字路に至る。そのT字路で右折し、直ぐに左折して240m程で錦部小東門前を通り過ぎる。40m程先の十字路を直進して更に140m程進み山側へ右折し、山に向かって行くと防獣柵があり、開けて中に入り、砂防ダムを通り過ぎて150m程林道を登ると右手に登り口の標識が立っている。急斜面をつづら折れに登って行くと東尾根の郭に取付く。

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主郭の石垣痕跡          登り口の案内標識

 
南の細尾根          南尾根の大堀切

 
北尾根の捨郭と堀切      北尾根の堀切と食違い竪堀

 
二郭とその虎口          堀切と三郭