武石中山城  No20218-01 (なかやまじょう)       

主郭西方向 主郭南下の腰郭石垣

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 上田市武石小沢根字城山
築城年 : 永和年間(1375〜79)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、横堀、堀切、竪堀、石垣、木戸、
訪城日 : 平成28年11月13日

歴   史
永和年間(1375〜79)佐久の豪族・大井孫五郎長信がこの地に移り築城したと伝えられている。大永年間(1521〜1528)には大井信広が居城していたと云われ、その後、天文14年(1545)に武田晴信に攻められ落城し、丸子氏や祢津氏らと共に晴信に降った。文禄2年(1593)大井正棟が継嗣なく没し、大井氏は断絶、城は廃城になったと云う。(大正11年『小県郡史』)

構造と感想
中山城は、北側の武石川、南側の小沢根川の間に西から東に向け張り出した尾根の先端に築かれている。頂部に東西26m、南北16mの主郭を置き、周囲に川原石を葺いた土塁を廻らし、南側下方には側面に石垣を積んだ腰郭を、東側から北側下方に帯郭を付帯させ、北側帯郭の下には横堀も入れている。主郭西側は二重の大堀切を穿ち、90m程離れてもう一条堀切を入れ、その間に数郭の小郭からなる西郭を配している。東方が大手で、大堀切一条、少し下方に三条の小堀切を連続させ、その下端に食違い竪堀による二の木戸を構えている。さらに15m下方に三段の段郭を設け、最下段に土塁と竪堀で挟んだ一の木戸を築いている。
この城からは、北への眺望がひらけ、依田川流域から遠く鳥帽子山麓、浅間山を一望できる。また、府中との交通路が川筋を通り、この交通の要衝を抑えていた。

道 案 内
上信越自動車道の上田菅平インターを降りて国道144号の西方向に入る。国道144号を西に910m
程行った住吉交差点で左折し国道18号バイパスに入る。国道18号バイパスを2.8km程南進した国分西交差点で左折し400m程で国分寺史跡公園横、しなの鉄道信濃国分寺駅を通り過ぎ、さらに国道18号を2km程走ると大屋交差点に至る。そこで右折し国道152号に入り430m程行った信濃鉄道大屋駅前で右折する。引き続き国道152号線を道なりに9.3km程南下した武石口交差点で右折し県道62号線に入る。県道62号線を2.5km程走ると武石ともしび博物館前に至り、その250m程先の十字路で左折し、細い道に入る。細い道を700m程南下すると武石小学校前に至り、その先で斜め左に曲がり、180m程先で今度は右折する。直ぐ武石川を渡り、渡り終えた右手に子檀嶺神社の鳥居があり、上方の社殿右手側から城跡への登山道がある。神社駐車有。

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登り口             主郭土塁の川原石葺き


北側下方の横堀                南下の腰郭


主郭西側の二重堀切           主郭東側の大堀切


東側大堀切の二重竪堀           一の木戸