落合城  No20217-17 (おちあいじょう)       

主郭を北西から見る 主郭東側の堀跡

城郭の概要                  
別  名 : 神明城、竜香山城
所在地 : 佐久市鳴瀬字神明
築城年 : 不明
形  式 : 平城(崖淵城)
遺  構 : 横堀、
訪城日 : 平成29年11月18日

歴   史
城歴等の詳細は不明であるが、鎌倉時代に道本城主・根井行親の五男である落合五郎兼行が支配した所とされる。
承久の乱(1221)後に新補地頭として水内郡裾花渓谷(現在の長野市鑪芋井)に移り、そこに定住したと云われている。応永7年(1400)北信濃の国人が新任の信濃国守護小笠原長秀に反抗した大文字一揆に落合氏の名が見え、戦国時代になると葛山衆と呼ばれる武士団の盟主として活躍している。
なお、落合氏が北信濃に去った後の落合は、大井氏の所領となった。
ところで、落合五郎兼行については、木曽義仲を匿った中原兼遠の五男で義仲四天王の樋口兼光、今井兼平の弟で恵那郡落合村に居館を構えていたとする説もあるようである。

構造と感想
落合城は、湯川の北岸に広がる落合集落の背後(北側)の塚原台地辺縁部に築かれている。対岸の小丘陵には岩尾城がある。北1.1kmに駒形城、東2.5kmに道本城があり、立地は塚原台地で私牧を経営していた根井氏の勢力範囲であったと思われる。
城は、時宗寺の東側の台地上にあった。台地の西端部一段下がって諏訪神社が祀られ、その東側一段上がった台地上の西端は墓地になっており、墓地の東側に三方を堀で囲まれた約40m四方の微高地があり、これが主郭と思われる。主郭の堀は、東側の「小矢殿坂」と呼ばれる堀のみが、名残を留めている。 主郭の東側に堀を隔て二郭があったとされるが、痕跡も認められない。さらに主郭と二郭の北側に広大な外郭が取り囲んでいたようだが、そちらも痕跡すらない。

道 案 内
中部横断道の佐久中佐都インターを降りたT字路を左折し北に120m程行くと佐久中佐都I.C北交差点に至る。そこで左折し県道154号線に入り、西に1.2km程行くと信号交差点があり、県道は右折となるが、そこで左折し730m程南下すると湯川を渡る。湯川を渡った最初の高瀬小西交差点で右折し、県道103号線に入る。280m程西進すると西岩尾交差点に至り、そこで右折し県道78号線に入る。道なりに340m程西に進むと湯川を渡る。湯川を渡り終え真直ぐ北に進むと時宗寺の前に至る。
時宗寺の参拝者駐車場に停めさせていただく。

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南側の河岸段丘           西より望む