鬼場城  No20214−04 (おにばじょう)       

主郭 背後の二重堀切

城郭の概要                  
別  名 : 矢ヶ崎城
所在地 : 茅野市米沢埴原田
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、空堀、堀切、竪堀、井戸、
訪城日 : 平成30年10月26日

歴   史
築城年代は定かではないが、諏訪氏支族の矢ヶ崎氏(矢崎氏)の居城と云われる。
矢ヶ崎氏は、諏訪貞方の弟敦家を祖とするとされ、矢崎郷を領し、当初は齢松山城を居城とし、鬼場城はその支城として築かれた。後に居城を齢松山城から鬼場城に移したものとみられているが、移転の時期は不明である。
応永7年(1400)の大塔合戦では、有賀美濃入道のもと、矢ヶ崎氏も国人連合軍に加わっていたと『大塔物語』に見える。その後の矢ヶ崎氏の動静については明らかでないが、天文11年(1542)武田晴信(のちの信玄)に諏訪惣領家が滅ぼされると、矢崎和泉守は鬼場城に拠って武田氏に従ったと伝えられるが詳細は不明である。

構造と感想
鬼場城は永明寺山から南東へ伸びた一支尾根が川上へ落ち込む先端頂部 標高907m、比高75mの城山に築かれている。
主郭は26m×15の楕円形で西側に高さ2m、他の三方に1mの土塁が廻る狭小な郭である。主郭東側は虎口を守るための小郭と小堀切を隔て19m×17mの二の郭があり、西側を除く三方を幾段かの帯郭が取り巻いている。主郭背後西側は尾根続きで大きな二重大堀切によって遮断し、やや離れて片竪堀を落とし三の郭を配置している。その西側は長さ100mに及ぶ低土塁と浅い空堀で平坦な尾根を護っている。この構造は、明瞭な連郭式の山城である。
主郭から二の郭は笹に被われ足を踏み入れにくいが、背後の二重大堀切は鋭さも残っており素晴らしい。

道 案 内
中央道の諏訪インターを下りた諏訪IC交差点を右折し国道20号に入る。南東に1km程行くと高架になり、その手前で左手の側道に入り、290m程先の新井交差点で左折し国道152号に入る。道なりに3km程行くと左手にコンビニがあり、その先の本町城山交差点(御座石神社の手前)で左折し細い道に入る。細い道を道なりに城山団地まで上がり、団地に入った城山入口バス停の所で右折し、団地内を進み、突き当りのY字路で右手に入り300m程行くと峠に至る。右手に1台分の駐車スペースがあり、そこから南南東への遊歩道を3分も歩けば城跡に着く。
なお、1回目の訪城は、大手筋の御座石神社交差点からの階段を登ったが、現在は竹や樹木に被われ通れないようである。

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登り口        二重堀切の竪堀    

 
内側の二重堀切       主郭南下の横堀

 
二の郭より主郭を見る          二の郭

 
二の郭帯郭の北西端の井戸      三の郭の土塁


三の郭の空堀