隠尾城  No16405−01 (かくりょうじょう)       

主郭 東側の腰郭

城郭の概要                  
別  名 : 隠尾館
所在地 : 砺波市庄川町隠尾
築城年 : 南北朝期
形  式 : 居館
遺  構 : 土塁、空堀、虎口、水源、
訪城日 : 平成24年11月2日

歴   史

築城年代は定かではないが、南部氏によって築かれたと考えられている。
南部氏は南部遠江守宗継の弟宗治が足利直義に仕え、文和元年(1352)の直義滅亡の後に鉢伏山に要害を構え、数代に亘り居城していたとされる。
しかし、戦国時代の永禄3年(1560)に至り、椎名氏は上杉謙信の援助を受けて神保氏を攻め、富山城から増山城へ逃れた神保氏をさらに追撃して五箇山に敗走させた。この時の戦火に巻き込まれた隠尾城主南部源左衛門尚吉も上杉氏と戦ったが、敗れて討死、子の源右衛門は一時飛騨国へ逃れた。越中の戦乱が静まった後、源右衛門は隠尾に戻り、城跡の脇に館を構えたと云われている。
なお、隠尾集落は、平成になって廃村になったようである。


構造と感想

庄川右岸に聳える鉢伏山の南中腹にある隠尾集落の南端、崖に面した高台に隠尾城は築かれている。
主郭は、南北約29m、東西約21mで、その東西に腰郭が付帯している。北側を除く三方は急斜面で、北側は約30m巾の堀で、一部に滞水がある要害地形である。
主郭の中央には城主の悲運を泣き続けたという伝説の「啼石(なきいし)」と呼ばれる石があり、西側中央に開く虎口から南側に土塁が付帯した西側の腰郭へ降り、腰郭北東隅の虎口から出ると北西側に南部氏の母屋があった。南側の崖下に籠城用の湧水跡も残っているようだが確認できていない。


道 案 内
北陸自動車道の砺波インターを降りて国道359号の東方向に入る。230m東進した太郎丸交差点で右折し国道156号に入り、南に5.5km程行った岩屋交差点で左にカーブし引き続き国道156号を北東に3.9km程行くとトンネルがあり、そのトンネルを出た100m程先で左折して国道471号に入る。国道471号に入って200m程で庄川を渡り、そこから160m程先で左折し県道346号線に入る。県道346号線を北方向に道なりに3.3km程行くと右手に隠尾八幡宮があり、その付近に駐車する。そこから徒歩で100m先から右手の集落への道路に入り、集落内道路を170m程行った右手奥に城跡の説明板が見える。

TOPへ 戻る

 
主郭より見る堀跡            腰郭の虎口部