小渡城  No23544−02 (おどじょう)       

主郭の北方向 主郭の南虎口

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 豊田市(旧旭町)小渡町字薮下・寺下
築城年 :
形  式 : 山城(240m/70m)
遺  構 : 土塁、堀切、畝状竪堀、虎口
訪城日 : 平成31年3月22日

歴   史
『東加茂郡誌』では城主は不詳とされている。豊田市の『和徳寺文書』の今川義元安堵状に「鱸兵庫介小渡依致取出 為普請合力岩村衆并広瀬右衛門大夫令出陣 右衛門大夫去八日令帰陣処 阿摺衆馳合逐一戦」と記されており、今川方の鱸(鈴木)氏が美濃の岩村衆と広瀬氏(豊田市)と協力して弘治2年(1556)に小渡城を普請したことが伺える。

構造と感想
矢作川と介木川の合流点に向け東より西へ伸びた尾根の中程 標高240m、比高70mに築かれた山城である。
城の南を介木川が西流し、北側は矢作川本流がL字型に城の二方を取り囲むように流れている。北側の矢作川沿いは急斜面であるが、南側は二つの谷が入り込み傾斜もやや緩やかで、この二つの谷に挟まれて小渡城は築かれている。
主郭は頂部に置かれ、その南一段下に腰郭が付帯し、この腰郭は主郭の西下を北に帯郭となって伸び、北端が一段高い台状地になっている。北東下にも小さな腰郭が設けられている。南腰郭の南下と主郭東下に堀切を入れ、中心部の防備を固めている。
南の堀切から西斜面の腰郭、その北端一段下の小郭へと城内道が繋がり、小郭の西は尾根筋で、土壇を築き城道を狭め虎口を形造っている。西尾根の次の小ピーク東面に土塁を築き、それに沿って登城道が麓へと下って行く。なお、この小ピークは矢作川の渡し場が望め、物見として使用された可能性が指摘されている。
主郭東は堀切を隔て二郭が構えられ、その東側にも堀切が入れられている。主郭の南東斜面には数条の竪堀が畝状に落とされている。
主要な郭や堀切、畝状竪堀など良好な残存状況で、要所には表示板があり、順路も整備されており、見回りやすい城跡である。

道 案 内
猿投グリーンロードの力石インターを下りて国道153号の北東方向の足助町方面に入る。国道153号を9km程走った足助大橋西交差点で(右折すると足助中心部に入る。)直進する。さらに10km程道なりに進むと右手に明川郵便局があり、郵便局から290m程先の明川交差点で左折し県道366号線に入る。県道366号線を道なりに10km程進むと道路が大きく左にカーブし小渡大橋のバス停のあるY字路に至る。右手の県道19号線に進み240m程先の小渡交差点(豊田市旭支所手前)で右折し、130m程先の旭郵便局を過ぎた左手に増福寺がある。寺の西裏手に最初は階段になった登山道があり、尾根へと登りきったら右手の尾根筋を進むと城跡に至る。

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登り口         現地掲載の縄張り図            


主郭南下の腰郭(北方向と南方向)


主郭南方の堀切       主郭南東斜面の畝状竪堀


主郭西下方の腰郭        小郭手前の土塁


西尾根小ピークの土塁         主郭・二郭間の堀切


二郭の東方向     二郭東下の堀切