治田城  No24321−03 (はったじょう)       

主郭南西隅の櫓台と土塁 主郭桝形虎口前の城道の折れ

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : いなべ市北勢町麓村字バラ門43番地
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、竪堀、空堀、土橋、櫓台、虎口、井戸、
訪城日 : 平成25年2月23日

歴   史
築城の年代は不明であるが、城主は、『三国地誌』」に「治田五兵衛、同山城守二代居守とあり、『伊勢名跡勝志』は治田氏の前の永禄年間(1557〜70)楠正成の末裔正具の城であったと云い、正具は三重郡楠城主楠具孝と同族であり、この地に居城したことも当然であると考えられている。
治田城は、『員弁雑誌』に永禄10年(1567)の滝川一益侵攻の際には落城せず、天正年中(1573〜92)に織田信長に降伏したと記している。

構造と感想
治田城は、青川の北にある標高172mの城山に築かれている。
城の規模は、東西約200m、南北約210mで、山頂から中腹にかけて三段に削平して構築されている。頂部に東西約130m、南北約150mの主郭を置き、北側に二股になり延びる支尾根上に1、2段の腰郭を、東側と南側に帯郭を付帯させている。東側と南側の帯郭の間には竪堀を落とし、尾根続きの西端は堀切で遮断し、北西の支尾根には竪堀を入れ、それぞれ敵の侵入を防御している。
主郭内は二段からなり南側が一段高く、北側が中央に竪堀が入り東西に分かれている。また、南西隅には櫓台を構え、その裾から東に向け土塁を延ばし、西側北部と東側北部にも土塁を築いている。東面の南寄りに桝形虎口を設け、城道がクランク状に折れて帯郭に下りている。帯郭から城外へは、北に延びる土塁裾を「己」字状に下って行く。二股支尾根間の谷には井戸が設けられている。説明板では土塁がなく切岸で護られると書かれているが、虎口構造は発達しており、戦国後期の様相を呈する遺構のように思われる。

道 案 内
名神高速道関ヶ原インターを下りて国道365号を南方向に入る。南進して三重県に入って5km程で国道306号との交差点に至る。そこを直進し国道306号に入り8.6km程南進した別名交差点で右折する。引き続き国道306号を走り1.1km程行った垣内交差点を直進し、その先310m程で細い道に右折する。右折して300m程西進した左手に溜池があり、堤に説明板と標柱が建てられており、堤を渡った奥の山が城跡である。道路余白に駐車可。

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桝形虎口前の城道を見下す塹壕状の郭       主郭東側の切岸と帯郭

 
西端の堀切             南側帯郭の東部櫓台