No24501−03 No24501−04
本田氏城 阿保城
(ほんだしじょう) (あおじょう)

西之丸の土塁 郭内

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 : 岸田伯耆城
所在地 : 伊賀市(青山町)柏尾字中森 所在地 : 伊賀市(青山町)阿保字上ノ代976
築城年 : 室町期 築城年 :
形  式 : 丘城 形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、石垣、堀切、虎口 遺  構 : 土塁、虎口、櫓台
訪城日 : 平成25年3月2日 訪城日 : 平成25年3月2日

歴   史

・・・・本田氏城・・・・は、『伊乱記』にみえる柏尾の本田要害である。天正9年(1581)第二次天正伊賀の乱において、伊勢路から北畠信雄の先鋒である滝川三郎兵衛雄利と織田七兵衛信澄が伊賀に侵攻すると、下河原の掛田城に集まった土豪は多勢の寄せ手に恐怖し国見山や柏尾の本田要害に移ったが、結局本田要害も信雄、信澄の大軍に討破られたと伝わっている。
・・・・阿保城・・・・は、北畠家臣の安保氏の居城と考えられている。天正13年(1585)筒井定次が伊賀へ入国すると、家臣・岸田伯耆を阿保に配し、居館を築かせたとの記録が残っている。


構造と感想
・・・・本田氏城・・・・は、柏尾地区の北側にある丘陵先端部に築かれいる。丘陵先端部を切り込み、南側を除く三方を幅広い土塁で囲まれている。東側には深い堀切が入れられ、その南東側一段下に北東方向に切り込んだ平地が付帯していた。土塁囲いの郭が「西之丸」、南東側一段下の平地が「東之丸」と呼ばれている。
西ノ丸の東側土塁の裾には土留めの石垣が入れられ、深い堀切や分厚い土塁は見応え十分である。
・・・・阿保城・・・・は、伊賀の一般的な単郭方形の城郭で、土塁に四方を囲繞され、北東隅部が幅広く外側に少し張り出し櫓台と思われる。虎口は北に開き、南側にも少し土塁を切り下げた切込みがあるが、後世の改変と見られている。周囲は腰郭状の平坦地が取り巻き、東側は慈福寺跡で広い平坦地となっている。土塁や虎口が明瞭に残り、削平も良好である。
なお、ここは「阿保頓宮跡」の史跡ともされ、郭内に石碑が建てられている。

道 案 内
・・・・本田氏城・・・・は、名阪国道の上野東インターで降りて、国道422号を南方向に入る。国道422号を南方向に道なりに12km程行った青山羽根交差点で左折し国道165号に入る。国道165号を東に2.3km行った岡田集落手前の十字路で右折し木津川に架かる橋を渡った330m程先の右手丘陵上が城跡で、獣除けフェンスが折れ曲がり斜面を登るので、そのフェンスに沿って登り、50m程先のゲートから入る。付近の道路余白に駐車可。なお、西の集落側から社に向かう登城道もあるようだ。
・・・・阿保城・・・・は、名阪国道の上野東インターで降りて、国道422号を南方向に入る。国道422号を南方向に道なりに12km程行った青山羽根交差点で直進し県道29号線に入る。青山羽根交差点から270m程南下した十字路で左折し、初瀬街道に入る。東に230m行き右折して県道29号線に入り、南に140m程行った左手の階段を登ると城跡である。
なお、手前で左折して右手にカーブミラーと地蔵がある東側の山道からも城跡に入れる。

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土塁裾の石垣


堀切

北虎口


北側土塁の西部