医王寺城  No20301-01 (いおうじじょう)       

主郭の高台 主郭北側の堀切

城郭の概要                  
別  名 : 臼田城、桜井山城、下の城、
所在地 : 佐久市(旧臼田町)臼田字医王寺山
築城年 : 延徳元年(1489)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、
訪城日 : 平成27年4月18日

歴   史

文明16年(1484)、村上氏が佐久に侵攻し大井氏を降したが、延徳元年(1489)6月に甲斐の武田氏が佐久に侵入してきた。村上顕国は兵を出して佐久の諸豪族を援けて武田軍を撃退、これにより佐久の諸豪族の多くが村上氏に属し、顕国は子・顕胤に医王寺城を築かせ居城とさせ、佐久地方の押えとするとともに、武田氏への備えとしたと推測されている。
天文9年(1540)5月、板垣駿河守が武田信虎の命を受け、大将として佐久に侵攻し、臼田城(医王寺城)、入沢城を始めとする数十城を破り、前山城に陣した。
天文18年(1549)、武田軍が平原城を攻めた際、「桜井山」に陣を置いたと『高白斎記』に記されているが、それが医王寺城と比定されている。


構造と感想

東から見ると比高75mの急勾配の崖上(標高772m)にあり、眼下に佐久平を一望できる山城であるが、西側は山地に続き、緩い勾配で崖端城である。
構造は、頂部に主郭を置き、東側中央に物見台と思われる高台がある。主郭の西から南側を何段もの腰郭が取り巻いている。北側は大堀切で、東側の急斜面へ竪堀となって落ちている。その北側に二の郭があり、西側に二段の腰郭が付帯している。二の郭の北側も堀切で区画され、その北側が三の郭で、これにも西側に二段の腰郭が付帯している。
しかし、西側から東側は畑や果樹園に利用され、改変を受けており、どこまでが遺構なのか分からなくなっている。


道 案 内
中部横断道の南佐久インターを降りた佐久南IC入口交差点を左折し国道142号に入る。東に1.6km程行った跡部交差点で右折し国道141号に入る。南に4.1km程行ったショッピングセンターのある伊勢宮交差点で右折し市道に入る。市道を西に270m入った左手にアパートのある所で右折し、道なりに1km程山に登って行った右手側が城跡である。

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主郭北側の堀切              高台からの竪土塁


堀切からの竪堀              二の郭東側の肩


  二の郭南方向          三の郭と二・三間堀切