入沢城  No2304-04 (いりさわじょう)       

主郭北西面の土塁 東尾根の二重堀切

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 長野県佐久市入沢
築城年 : 不明
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、井戸、
訪城日 : 平成27年4月18日

歴   史

『守矢文書』や『諏訪上社 御射山頭役結番之事』といった史料に、鎌倉末期の嘉暦4年(1329)には平賀又三郎、彦三郎が入沢地頭であったと記されており、この平賀氏が地名を名乗り「入沢氏」を称したものと推測されている。
戦国時代の天文7年(1538)に大井美作弥沙源昌が大井庄青沼郷八幡社に寄進した鰐口から、入沢城の城主が入沢氏から大井氏に代わっていたことが伺えるようである。
天文9年(1540)5月、板垣駿河守が武田信虎の命を受け、大将として佐久に侵攻。臼田城(医王寺城)・入沢城を始めとして、数十城を攻め落とし、前山城に陣を置いたと『妙法寺記』や『塩山向岳禅庵小年代記』に記されており、入沢城は武田方の城となり、天正年間には水石和泉守が在城していたと云われている。


構造と感想
入沢城は、入沢集落の南方に関東山地から西に延びる一支脈の標高853m、比高95mの先端ピークに築かれている。南西山麓に吉祥寺、北西山麓に三條八幡社、北方には大宮諏訪社があり、その付近は「北小屋」と呼ばれている。西方隣の支脈先端には、当城を防御する十二山城がある。
当城の遺構は、良好な状態で残っている。
西端の頂部に北西面に土塁を付帯させた円形に近い主郭を置き、その東側の尾根筋に一段下がって東西に長い二郭を連郭式に配している。二郭中央部の南面には土塁を設け、北部には石組の窪地があり、井戸と思われる。二郭の東方は尾根続きで、大小7条の堀切入れ、東端では南斜面に竪堀を落とし、厳重な遮断を図っている。最内の堀切には石積みを施し補強している。主郭の北西斜面にも長大な三本の竪堀を落としている。
主郭から西に張り出す西尾根は露岩が多い岩場であるが、狭小な段郭を三ヵ所、北に張り出す北尾根には三段の削平地を構えている。
さらに、二郭の北側斜面に腰郭、主郭と二郭の南斜面に二段の帯郭を設けている。
城の東方以外の南・西・北方は急斜面であり、また、頂上部付近は岩場が取り巻いており、天然の要害地形をなしている。
城址へは、吉祥寺の裏手から登山道が伸びている。

道 案 内

中部横断道の佐久穂インターを下り、東に向け1km程道なりに進むと国道141号の千曲病院入口交差点に至る。同交差点を直進して国道299号に入る。東に1.3km程行き、畑ケ中交差点で右折し県道2号線に入る。道はUカーブを過ぎると北に向き、そのまま2.1km程北上した小さな十字路で右折する。後は東向け道なりに560m程進むと吉祥寺に至る。
吉祥寺北東裏の墓地にある石の覆屋がある五輪塔の裏からジグザグの道を登る。15分もあれば主郭へ辿り着く。


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二郭より主郭を見る               西尾根の段郭

 
二郭の土塁             北西斜面の竪堀

 
最内の堀切の石積み          石組み井戸