松尾古城 No20345-03 | (まつおこじょう) |
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本郭東面の石垣 | 本郭背後の堀切 |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : 松尾城、角間の城、 |
所在地 : 上田市真田町横沢字日向 |
築城年 : |
形 式 : 山城 |
遺 構 : 石垣、堀切、石垣、石塁、 |
訪城日 : 平成30年5月1日 |
◆ 歴 史 |
城歴は定かでないが、天文10年(1541)海野平合戦で小県を追われた真田幸隆が、天文20年(1551)戸石城を調略により陥落させ、その功により武田晴信より小県周辺の旧領を与えられ、平時の居館として真田氏居館を築き、周囲の城砦を居館守備の城砦群へと改修した際、松尾古城も上州街道を押さえる砦として改修されたと考えられている。 なお、南麓にある「日向畑遺跡」は幸隆以前の真田氏一族の墓と推測され、松尾古城も幸隆より以前の真田氏によって築かれたとの見方があるが確証はない。 |
◆ 構造と感想 |
松尾古城は、西側の神川と南東側の角間川に挟まれて南西方向に張り出した峻険な尾根の中腹ピーク(標高970m、比高190m)に築かれている。 そして、さらに登った標高1130m付近には遠見番所が置かれている。この地は神川に沿って上州街道(国道144号)が、角間川をさかのぼると、角間峠から上州へと続く交通の要衝に位置していた。 松尾古城の構造は、頂部に東西11m、南北14mの本郭を置き、四囲に石塁を廻らし、西側に虎口が開いている。尾根続きの背後は深さ10m程の大堀切を穿ち遮断している。本郭から南西下方の尾根筋上に小段郭が続き、下部の馬場と呼ばれるやや広い郭があり、そのニ、三段下に尾根を遮断するように石垣が築かれいる。これらの段郭は、急こう配の細尾根に設けられており、石垣を築いて平地を拡げようとしている。 しかし、この城の多くの郭に本格的な石垣が施されており、真田氏の城としては異質な存在のように思える。 |
◆ 道 案 内 |
上信越自動車道の上田菅平インタを降りて国道144号の東方向に入る。700m程先で上信越自動車道を潜り、さらに国道144号を道なりに900m程行った伊勢山交差点を直進する。そこから2.9km程道なりに北上した荒井交差点も直進し、更に道なりに4.1km程走り横沢交差点で鋭角に右折する。県道4号線に入り680m程南下した信号交差点で左折し、300m程先で角間川を渡り、直ぐ左手が「日向畑遺跡」で、登り口である。神社か付近の余白に駐車。 「日向畑遺跡」から左手に進み、尾根筋に出ると前方下に神社の屋根が見える。そこから右手の尾根筋を登ると途中に秋葉社がある。さらに登ると、尾根を塞ぐ石垣に至る。そこからが城域であろう。 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 馬場の石垣 馬場中段の石垣 ![]() 尾根を遮断する石垣 |