戸石城  No20203-06 (といしじょう)       

本城主郭の石垣と虎口 本城主郭の北方向、北面の土塁

城郭の概要                  
別  名 : 砥石城、伊勢崎城
所在地 : 上田市上野字伊勢山
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、石垣、虎口、水の手、
訪城日 : 平成23年6月5日

歴   史
戸石城の築城年代は定かでないが、隣接する真田郷を本拠とする真田氏が上田地方の掌握を図るため、外城として築いたのが最初と考えられている。
史料での初見は、天文年間(1532〜55)に埴科郡坂城の村上氏の属城としてで、天文10年(1541)村上義清は武田信虎、諏訪頼重らと共に海野棟綱・真田幸綱(幸隆)らを上州へ追いやり、小県方面へ勢力を伸長させた。以後、居城の葛尾城を中心に堅固な戸石城を小県・佐久方面の鎮城とすると共に、北信濃への関門とし、強固な防御態勢を整えたとされる。
天文17年(1548)武田晴信(のちの信玄)と義清が上田原で激突し、武田軍は板垣信方、甘利虎泰といった有力武将を失い大敗を喫した(上田原の戦い)。天文19年(1550)晴信は小笠原長時の居城・林城を落とし、義清が北信濃で高梨政頼と対陣している隙を衝いて戸石城を攻めたが落とせず、撤退する途中を高梨政頼と和睦した義清に急襲され大敗北を喫した。これがいわゆる「武田の戸石崩れ」である。が、翌天文20年(1551)に晴信麾下となった幸隆によって戸石城は攻略され、以後、武田氏の属城となる。
天正10年(1582)武田氏が滅亡すると、真田氏の属城となり、真田昌幸が上田城を築城してからは、上田城の背後を守る役割を果たし、徳川家康と戦った天正13年(1585)の第一次上田合戦の際には、昌幸の長男信幸(之)が守りを固め、さらに慶長5年(1600)第二次上田合戦の時は、昌幸の二男信繁(幸村)が立て籠もった。
慶長5年(1600)関ケ原合戦後、上田城は徳川方に与した信幸に与えられ、元和8年(1622)信幸が埴科郡松代へ転封となって、戸石城は廃城になった。

構造と感想
戸石城は、上田盆地の北壁、太郎山に峰続きの東太郎山の一支脈が、神川に沿って南方に突き出した尾根先端上に築かれており、本城を中心に北に枡形城、南に戸石城、西南に米山城を配した堅固な連郭式山城で、総称して戸石城と呼ばれる。
しかし、戸石城と枡形城は本城に近く、見張り台的な役割を果たしていたと考えられ、これら三城を併せて一城と見るのが妥当とされる。米山城については、やや離れた独立稜に近い山上に築かれており、出城として機能したと思われ、別城と見られている。
東麓の伊勢山の「陽泰寺」から北の谷奥へと進み、内小屋の西裾を通り、左手山裾に石柱が立てられた所から尾根側面のつづら折れの山道を15分程登ると本城南下の馬場に至る。そこから右に行けば本城、枡形城へ、左へ行けば戸石城、米山城へと行くことができる。
【戸石城】
戸石城は、本城南下の鞍部(馬場)から140m程南へ緩やかな登りの先端が小ピークになり、その頂部に築かれている。頂部の本郭は25m×20mの台形状で、北側に上巾11mの堀切、東支尾根にも上巾10mの堀切が入っている。南西の支尾根は、米山城へと下っていく。基本は単郭構造で、本郭からは周囲の眺望が開け、上田市街・塩田・東部・佐久方面が一望でき、見張り台であると納得できる。
【本城】
戸石城全城で最も広大で、最上段の本郭から南へ二の郭、三の郭が続き、その南下から東下に掛けて四の郭が配され、さらに東下に三日月形郭、それらを帯郭が取り囲んでいる。この帯郭南下の鞍部に南北に細長い馬場が設けられている。防御は、本郭北側と、馬場と戸石城の間に堀切が入っているが、基本は山の峻険さによっている。
本城の南東下は小さな谷で、ここを大手道が登っており、中腹から本城までの両側には、小段郭や帯郭が連なり、大手郭を形成している。
また、当城と枡形城の間の東下も谷で、その中腹に段郭が連なり、本城の水の手郭となっており、現在も湧水が出ている。通路は、大手郭から水の手郭、水の手郭から枡形城へと続いている。
【枡形城】
枡形城は、本城から尾根道を120m北に登った標高800mの小ピークにに築かれている。本郭の西虎口に4平方メートルの枡形があり、城名になったとされる。本郭は長方形で、その南北を堀切で区画され、更にその外側にも1、2条の堀切が入っている。構造は、基本的に単郭構造である。
【内小屋】
戸石城の東側に入り込む谷間に「内小屋」と呼ばれる畑地がある。根小屋と同意で、現在畑となっている平地には城下集落が設けられ、谷の出口を横堀で塞いでいた。谷東側の細尾根上には削平地や堀切が見られ砦を構築していた。

道 案 内
上信越自動車道の上田菅平インタを降りて国道144号の東方向に入る。700m程先で上信越自動車道を潜り、さらに国道144号を道なりに900m程行った伊勢山交差点を直進する。260m程先で左手山裾の細い道へ入り、道なりに590m程行くと陽泰寺前に突き当たる。寺の駐車場をお借りし、寺の前より谷奥に250m程行くと左手山裾に石柱があり、そこから山道(大手道)を登ると戸石城と本城の間の馬場に至る。

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本郭北側の堀切                 水の手



戸石城の本郭            戸石城からの眺望



  枡形城の北側堀切と本郭       枡形城の南側二重堀切と本郭虎口



内小屋谷入口の横堀              内小屋の石垣