No24484−03 No24484−04
南出砦 植田氏城
(みなみでとりで) (うえだしじょう)

主郭 土塁上から主郭を見下す

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 伊賀市(大山田村)中村字宮谷496 所在地 : 伊賀市(大山田村)下阿波字樋詰
築城年 : 築城年 : 室町期
形  式 : 丘城 形  式 : 丘城
遺  構 : 空堀、 遺  構 : 土塁、空堀、竪堀、虎口、
訪城日 : 平成25年1月12日 訪城日 : 平成25年3月2日

歴   史

・・・・南出砦・・・・は、山田氏城の前衛拠点と考えられているが、城歴等の詳細は不明である。
・・・・植田氏城・・・・は、『三国地誌』に「植田氏堡、植田豊前光次居守。天正年間兵乱の時、評定衆と称する十二人也と云う。長野峠にて織田信雄の兵と戦い、柘植三郎左衛門を撃取。天正9年(1581)、三州へ退去、脇坂甚内安治本国の宰たる時、帰住して豊太閤伏見在城の時、本国に諸氏に代わって往て其事を勤め、小刀を賜うと云う。」と記されている。


構造と感想
・・・・南出砦・・・・は、山田氏城、宮谷砦の所在する支尾根と二股に分かれたもう一方の支尾根に築かれている。鞍部を背後にした先端ピークに東西25m、南北20mの削平の甘い不整形な平地を設け、北側に一段下がって東の鞍部に続く腰郭が付帯している。腰郭の北側中腹には空堀が入れられている。削平のみの簡単な造りの城砦である。
・・・・植田氏城・・・・は、伊賀に一般的な単郭で土塁に囲繞された城郭である。北西側に平入り虎口が開き、虎口前に二段の小郭がある。東側から南側に空堀が廻り、端部は竪堀となり落ちている。なお、北東下方に小段を介し四区画に分かれた広い平坦地が広がるが、平時の居館があったのであろうか? その平坦地から見上げる主郭虎口は迫力がある。また、背後の尾根続きを遮断する空堀も鋭く深さも深く見応え十分である。

道 案 内
・・・・南出砦・・・・は、名阪国道の中瀬インターを降りて国道163号の東方向に入る。国道163号を6.9km程東進すると左手に伊賀市役所大山田支所があり、さらに770m程進んだ二股分岐を左に入り50m程先を左折して250m程先の左手に新堂寺があり、東側の丘陵上が城跡である。登城口は「新堂寺」から100m程南へ行った広い空き地の東端奥から東に入って行くが、直ぐ右手が南出砦で、南出砦跡の空堀が通って5分も登ると山田氏城に至る。
・・・・植田氏城・・・・は、名阪国道の中瀬インターを降りて国道163号の東方向に入る。国道163号を9.9km程東進すると県道2号線との川北交差点に至り、同交差点を直進し3.2km程道なりに進むと川沿いから道路が離れ始める所の信号交差点を右折して服部川を渡る。渡って直ぐ左折し220m程東進した右折れの所で、山麓の獣除けフェンスゲートから入り、右手尾根に直登すると城跡である。フェンスゲート前に1台程駐車可。

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北側の空堀

空堀の南東部


虎口前の段郭