白山城  No19207−03 (はくさんじょう)       

主郭 副郭への土橋

城郭の概要                  
別  名 : 鍋山砦
所在地 : 韮崎市神山町鍋山
築城年 : 不明
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、横堀、土橋、堀切、竪堀、虎口、
訪城日 : 平成22年11月20日

歴   史
白山城は、武田集落に居館(武田信義館)を構えた武田信義の要害城とされるが、根拠はないようである。
文治2年(1186)に信義が死去し、居館・白山城とも廃城になったが、その後、一条氏(信義の次男の忠頼が始祖、武田信長が再興)、その一族武川衆の青木氏、山寺氏が相次いで守ったとされる。山寺氏は、天正10年(1582)に武田氏滅亡後も徳川家康から所領を安堵され、甲府城番などを務めた。白山城の廃城は、寛永年間(1661〜73)頃とされる。

構造と感想
白山城は、武田信義館の西方山地から東方に突出した尾根が少し高くなって南北に広がっている鍋を伏せたような形状の鍋山山頂に築かれている。武田信義館からは南西に1.2km程の所である。
山頂に土塁が囲繞した約25m四方の主郭を置き、南東隅に内枡形ふうの虎口を開く。主郭の東側から西側は副郭がめぐり、南西角の細い通路で二郭と通じている。二郭は、主郭の南側一段下の二段からなる郭で、その東側一段下に腰郭を付帯させ、北端部を二郭虎口の外桝形としている。二郭の南側から副郭の東側斜面まで横堀をめぐらし、7条の竪堀を落としている。主郭の西側斜面にも横堀と2条の竪堀が構築されている。南西方向に伸びる尾根は、二本の堀切で遮断している。副郭の北側には、堀切をニ本入れ、その間を大きめの馬出郭とし、土橋で副郭と結んでいる。馬出郭の北東隅に掘り込みの内枡形虎口を開き、腰郭を通り北東隅から城外へ出る。北端の堀切外にも大小ニ本の竪堀を入れている。
小規模ではあるが、一通りの防御施設が設けられ、虎口も複雑な構造をしており、なかなかの見応えであるが、風化の進行かやや鋭さに欠ける。

道 案 内
中央自動車道の韮崎インタを下りて、左折し県道27号線に入る。県道を道なりに2km程西進すると七里岩トンネルに入り、トンネルを出て150m先の一ツ谷交差点で左折する。左折後、南東に800m程行くと武田橋北詰交差点があり右折する。県道602号線に入り武田橋で釜無川を渡り、橋を渡り切って直ぐの武田橋西詰交差点で右折する。引き続き県道602号線を道なりに1.5km程行き武田八幡宮入口交差点で県道12号線を横切る。その700m程先が武田八幡神社前で、神社前を左折し南へ150m程行き右折する。その70m程先に獣害防止フェンスがあり、ゲートを開けて中に入り、100m程先、左手の小さな橋を渡り、別荘地の数件の家の横を進む。200m程先で左手に入る。(案内板あり。)直ぐに左に登る山道があり、これを登って行くと城跡に至る。
なお、白山神社側からの道は急ではあるが、分かりやすいが、駐車可能な場所が少し遠い。

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主郭の南西虎口        北側の副郭

 
二郭と主郭虎口         馬出の西側横堀

 
北端の堀切