鷺林城  No20217-15 (さぎばやしじょう)       

奥が主郭で左が二郭、右が三郭 主郭・三郭間の空堀

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 佐久市常田字鷺林
築城年 : 不明
形  式 : 平城(崖淵城)
遺  構 : 空堀、
訪城日 : 平成29年11月18日

歴   史

鷺林城の築城時期は不明であるが、在地土豪層の砦であったと考えられている。
鷺林城が史料で初めて確認されるのは『高白斎記』で、天文18年(1549)9月の条に 「九月大朔日 鷺林城ニ御陣スエラル 四日平原ノ宿城放火・・・」とあり、武田晴信(のちの信玄)が平原城攻めの本陣を置き、4日に平原宿城に放火し、14日まで在陣して、内山城へ馬を納めたようである。
武田氏滅亡後は、北条氏の支配下に置かれ、下曽根入道覚雲の居城であったと伝えられている。


構造と感想
鷺林城は、湧玉川南岸の河岸段丘崖上に築かれた平城(崖淵城)で、城域は東西約300m、南北約200mに及び、各郭は平坦で広い。
構造は、北側が段丘崖で南側背後に空堀を設け、東から連郭式に四郭(100m×50m)、三郭(150m×50m、三段に区画)、主郭(80m×40m)を並べ、主郭の南西側に二郭(70m×20m)を配し、防備の強化を図っている。また、各郭間は巾の広い空堀で区画している。
現在の城跡は、果樹園や畑地などの耕作地になっているが、主郭は雑木林となって荒れている。二郭は、八ヶ岳高原線で東西に分断されている。主郭・二郭・三郭周辺の空堀は概ね形状を留めているが、四郭の東側の空堀は葦が繁茂しており確認できない。
なお、これら4つの郭の南側に五郭があり、幅は70m程あったようで、南側の台地続きを区画する堀跡が微かな痕跡を留めている。
鷺原城は、平坦地が広がる佐久平の中央部に位置し、周囲への見通しがよく、佐久平定の陣に好立地であったのであろう。

道 案 内
中部横断道の佐久北インターを降りた北佐久I.C交差点で国道141号の南方向に入る。南に1.6km程行った長土呂東交差点を右折する。北西方向に970m程行き、突き当たりの近津神社南交差点で左折する。南に430m程行くと佐久平浅間小学校の北東角の信号交差点に至る。そこを右折し、西に340m程行くと中部横断道を潜る。そこから200m程西進した分岐で右手に直進する。140m程先で八ヶ岳高原線を横断し、100m程先で細い道に右折し100m程北上して再び八ヶ岳高原線を横断する。80m程行き左折する。道は直ぐに右にカーブし、その先の突き当たり一帯が城跡である。

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二郭の北西方向              三郭と奥に主郭

 
三・四郭間の空堀          五郭南側の空堀跡