高梨氏館  No20211-01 (たかなししやかた)       

東面の土塁と建物跡 庭園跡

城郭の概要                  
別  名 : 中野小館、中野御館、中野城
所在地 : 中野市小舘1069番4
築城年 : 永正年間(1504〜21)
形  式 : 居館
遺  構 : 土塁、空堀、石垣、井戸、庭園跡、建物跡 
訪城日 : 平成26年10月26日

歴   史
高梨氏館は、平安時代末期に始まる頼季流信濃源氏の有力武士団である高梨氏が永正年間(1504〜21)に築造したとの説が有力である。
高梨氏は、高井郡井上の住人、清和源氏頼季流の井上氏の一族盛光が同郡高梨に移り住み高梨氏の祖となった。南北朝時代に北朝方として活躍した高梨経頼が北信地方で勢力を拡大し、室町時代後期まで中野地方を支配下においていたとみられ、この勢力拡大の過程において、中野の地に本拠を構えたと考えられている。
室町時代末期の弘治年間(1555〜58)には、越後長尾氏と姻戚関係にあった高梨政頼は、北信へと進出する武田信玄の前に、中野の地にわずかの守備兵を置いて自らは飯山城へと退去した。
天正10年(1582)武田氏は織田信長に滅ぼされ、その信長も同年 本能寺に斃れ、川中島を上杉景勝が領有するに及んで、高梨頼親は中野への復帰を果たした。
しかし、慶長3年(1598)上杉氏が会津移封となり、高梨氏もそれに従い会津へ去った。それに伴い館も廃館になったと考えられている。

構造と感想
高梨氏館は、北信濃の中心地に位置し、志賀高原から流れ出た夜間瀬川によって形成された扇状地の南側扇央の山沿い近くに立地する。東館の東方1kmには山城の鴨ヶ嶺城がある。
館跡は中世の方形館跡で、東西約130m、南北約100mの規模を有し、四方に土塁と空堀が廻る北信地方で最大規模を誇る。
昭和61年から平成4年にかけて公園整備のための発掘調査が実施され、長野県では唯一の事例である庭園跡や門跡1棟、礎石建物跡5棟、掘立柱建物跡7棟などが検出された。土塁の断割り調査からは、築地塀、版築状の土塁、版築状土塁を土砂で覆った土塁の3段階の構築過程が明らかとなり、出土遺物の年代幅も14世紀後半から16世紀末までの約250年間に亘っており、高梨氏以前の中野氏時代から始まり、修築が重ねられたと推測されている。
なお、館跡は平成19年2月に国の史跡に指定されている。

道 案 内
上信越自動車道の信州中野インターを降りた信州中野IC入口交差点で右折し県道29号線に入る。東に4.5km程行くと北信総合病院横を通る。病院を越え道は右にカーブし、そのまま950m程直進すると左手が「高梨小館城跡公園」で、公園に無料駐車場がある。

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南面の池からの排水口       南面の空堀