No24483−03 No24483−04
竹内氏城 山内氏城
(たけうちしじょう) (やまうちしじょう)

堀切を兼ねた郭 郭内西方向

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 伊賀市(阿山町)下友田字寺坂 所在地 : 伊賀市(阿山町)下友田字谷出
築城年 : 築城年 :
形  式 : 丘城 形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、堀切、 遺  構 : 土塁、空堀、竪堀、虎口、
訪城日 : 平成25年1月12日 訪城日 : 平成25年1月12日

歴   史

・・・・竹内氏城・・・・は、城歴など詳細は不明であるが、山内・川合両氏と一族であると云うことから、天正伊賀の乱の際には山内氏と同様に雨乞山城に立て篭もって、織田信長軍の蒲生氏郷の軍勢と戦ったと考えられている。
・・・・山内氏城・・・・は、雨乞山城の東支尾根先端に位置しており、雨乞山城を詰城とする山内氏の居館跡と伝わっている。
天正9年(1581)の天正伊賀の乱で、蒲生氏郷の軍勢がこの地に攻め込んだ時、城主山内左エ門尉は近郷の郷士と共に雨乞山城に立て籠もり、山岡主計頭の家臣望月猪太郎を討取ったと『伊乱記』に記されている。


構造と感想
・・・・竹内氏城・・・・は、東西に連郭式に四郭が連なった構造をしており、東端の郭が東西約35m、南北約40mと最大規模で、東側と北側に土塁の痕跡が残る。竹内氏の居館跡か。その北西側は一段下がった北側に土塁を伴う3m×15mの切り込みがあり、土塁は土橋、切り込みは堀切の役割を果たすように思われる。続いて一段高くなり南側を除く三方に土塁が廻る約15m四方の郭が隣り合っている。これらが詰め城の役割を果たす主郭と副郭と思われ、土塁の北背後は谷状地形まで鋭く削り落とされ、見事な切岸となっている。西端は寺坂城との間に土橋付大堀切と二重堀切が連続して入れられ、厳重に遮断されている。この大堀切は、縦堀が麓近くまで落ち、見応えがある。各郭の削り込みは良好である。
・・・・山内氏城・・・・は、伊賀の一般的な四方に土塁を廻らされた方形居館跡で、郭内は15m×15mの広さである。西側と北側の土塁外には空堀が設けられ、西側の空堀は深さもある。北側の空堀は浅くなっているが、土塁天端との高低差は大きく、急峻な傾斜である。東側の南隅に虎口が開き、城道は虎口を出て左に折れ下り、北東下方の虎口郭に通じている。
城域は植林がなされているが、密度の粗い植林で見通しも良く、残存状態のよい遺構を楽しめる。なお、雨乞山城と併せて訪城するのが効率的である。

道 案 内
・・・・竹内氏城・・・・は、名阪国道の下柘植インターを下りて県道133号線を北西方向に入る。県道133号線を道なりに3.6km程北西に行くと県道637号線との交差点に至る。交差点で戻るように左折し県道637号線に入り、南西に390m程行くと左手に下友田集会所がある。集会所に駐車場し、集会所の対面の細い道に入り90m程先で左折、西に70m程行くと「浄光寺」で、西側の谷の南側丘陵先端が城跡で、適当に直登する。
・・・・山内氏城・・・・は、雨乞山城を訪れた帰り、北西尾根の道を下ると鞍部からきれいな道が北中腹の城跡まで続いている。

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副郭の土塁


大堀切

虎口への城道


西側の空堀