No24483−01 No24483−02
雨乞山城 寺坂城
(あまごいやまじょう) (てらさかじょう)

主郭 西端の堀切と土橋

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 伊賀市(阿山町)下友田字谷出 所在地 : 伊賀市(阿山町)下友田字寺坂
築城年 : 天正9年(1581) 築城年 :
形  式 : 山城 形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、堀切、竪土塁、竪堀、虎口、 遺  構 : 土塁、堀切、土橋、
訪城日 : 平成25年1月12日 訪城日 : 平成25年1月12日

歴   史

・・・・雨乞山・・・・は、天正9年(1581)天正伊賀の乱で織田信長が4万の大軍で伊賀に侵攻した際、これに備えて伊賀の郷士が雨乞山の山頂に構築した山城である。この地には、蒲生氏郷をはじめ総勢7千余の軍勢が玉滝口へ侵入し、郷士達は雨乞山城に籠城し応戦したが、とうてい敵わず落城した。また、翌年伊賀浪人がこの城に拠って蜂起して利用された。
なお、雨乞山東側の支尾根先端部には北から福味氏城山内氏城、雨乞山城大手郭、竹内氏城、寺坂城が約700m間に連なって築かれている。
・・・・寺坂城・・・・の城歴など詳細は不明である。


構造と感想
・・・・雨乞山城・・・・は、浄光寺の北西方に聳える標高269mの雨乞山山頂に築かれている。雨乞神事が行われていた自然地形の広場を主郭とし、西に伸びる尾根筋に不明瞭な郭や堀切を散在させ、西端には桝形虎口を構え、その外側で竪堀により区画している。東に延びる尾根筋には、連続する5段の削平郭を設け、その南東下方に二股で延びる支尾根にも比高差のある細長い段郭を幾段も設けている。その間の谷は切り込まれ、城館跡と見られている。この南西側の支尾根が大手郭で南西下方に大手道が登る。また、大手道の南西側の支尾根上にも削平郭が設けられ、大手道に両側より横矢が掛けられている。
このように雨乞山城は単郭方形城館が中心の伊賀衆の城の構造から脱し、共同で造られた伊賀衆の新しい城砦である。
・・・・寺坂城・・・・は、雨乞山城南側の谷を隔てた西から東に延びる尾根の先端に築かれている。当城の東側には竹内氏城が隣接しており、二重堀切によって区画され、尾根続きの西端は土橋を伴った堀切で遮断している。この堀切は両岸が縦堀となって落ちている。郭構造は、南側を除く三方を土塁が囲繞し、土塁の北西隅が分厚い高土塁となり、櫓台と思われる。
郭内はやや立木が多く見通し難いが、遺構の残りは良好である。

道 案 内
・・・・雨乞山・・・・は、名阪国道の下柘植インターを下りて県道133号線を北西方向に入る。県道133号線を道なりに3.6km程北西に行くと県道637号線との交差点に至る。交差点で戻るように左折し県道637号線に入り、南西に390m程行くと下友田集会所が左手にある。集会所に駐車場あり。集会所の対面の細い道に入り90m程先で左折し、西に70m程行くと「浄光寺」で、墓地奥に案内板があり、フェンスを開けて整備された大手道を登ると城跡に至る。
・・・・寺坂城・・・・は、雨乞山城の南側に細長い谷が西に向け入り込み、その南側丘陵先端が竹内氏城で、堀切を隔てた西隣が寺坂城である。丘陵先端から直登する。

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城館跡


大手郭

北西隅の土塁内


二重堀切