No24483−05 No24483−06
福味氏城 稲増氏城
(ふくみしじょう) (いなますしじょう)

北端の削平地 上方郭の南東部土塁内

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 伊賀市(阿山町)下友田字谷出 所在地 : 伊賀市(阿山町)下友田字佐奴田
築城年 : 築城年 :
形  式 : 丘城 形  式 : 丘城
遺  構 : 空堀 遺  構 : 土塁、空堀
訪城日 : 平成25年1月12日 訪城日 : 平成25年1月12日

歴   史

・・・・福味氏城・・・・は、『三国地誌』に福味氏宅址とあるが、所在は不明とされている。『三重の山城ベスト50』でこの城館を福味氏城と比定している。城歴などは不明である。
・・・・稲増氏城・・・・は、『三国地誌』に稲増氏宅址とある。また、『稲増氏由緒』によると、「文明元年(1469)稲増帯刀尉重勝、鞆田郷ニ居城築城城主トナル」とある。
『伊乱記』に稲増氏は、天正9年(1581)の天正伊賀の乱で、蒲生氏郷の軍勢がこの地に攻め込んだ時、近郷の郷士と共に雨乞山城に立て籠もり防戦したと記されている。


構造と感想
・・・・福見氏城・・・・は、獣除けフェンスで城域に入れず、フェンス越しに一部 堀切や削平地、切岸を確認できただけである。
・・・・稲増氏城・・・・は、鞆田川の左岸に張り出した丘陵の先端に築かれている。対岸には雨乞山城館群が所在している。
城は、上下の二郭からなり、東側に上方の郭があり、四方に土塁が廻り、郭内は20m×20mの広さを有し、虎口が東西の南端に開いている。北側に空堀、南東尾根続きに堀切が入っている。南側は50m×40m程の平坦地になっている。郭内は藪が酷く南側しか確認できない状態っである。
上方郭の西側土塁の中央付近から西に土塁が分岐して延び、西端で南に折れ西側を少し囲う。これが下方の郭で、北側土塁の中央に開口がある。郭内には、個人宅が建っており、南側の土塁は取り除かれたか?

道 案 内
・・・・福見氏城・・・・は、雨乞山東側山麓の城館群の北端に位置している。南隣りの山内氏城から整備された道を北に進むと城跡に至る。しかし、獣除けフェンスで城域に入れない。東山麓の溜め池脇からフェンスを超えれば入れるかも? ため池脇に駐車可
・・・・稲増氏城・・・・は、名阪国道の下柘植インターを下りて県道133号線を北西方向に入る。県道133号線を道なりに3.6km程北西に行くと県道637号線との交差点に至る。交差点で戻るように左折し県道637号線に入り、南西に390m程行くと下友田集会所が左手にある。集会所に駐車場あり。集会所南側の川の対岸にある丘陵先端が城跡である。

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北端の郭を区切る堀切 上方郭の虎口内


下方郭の南坂虎口

上方郭の北側空堀