水番城  No20202−14 (すいばんじょう)       

主郭北方向 主郭南面の石垣

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 松本市入山辺南方
築城年 : 寛正元庚辰年(1460)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、石垣
訪城日 : 平成23年11月26日

歴   史
水番城址に関して、「当方南方耕地より巳の方 十町余を隔て、日向山という小峰にあり。小笠原信濃守清宗、寛正元庚辰年(1460)築くと云ふ。分間詳ならずと雖も礎石を存す。」と長野県町村誌に記されている。また、同誌の林城の頃には、「出城または砦として築かれ、水の手を守る為に番士がおかれたものであろうか」 ともある。
さらに、東筑摩郡誌には、『天文年間(1532〜1555)長時の武将 山辺持続 之を守るという』と記されている。

構造と感想
水番城は、信濃守護小笠原氏の居城林大城から橋倉集落のある谷をを挟んで東側にあり、北へ張り出した尾根の中腹 標高855m、比高140mに築かれた山城である。
林大城の水の手は、水番城の奥のカシハ沢と云われ、そこから約1..5kmもの距離を等高線に沿って水樋を通し、林大城へ水を供給したと伝わり、その遠く離れた水の手を守るために、引水路の途中に築かれたのが水番城とされる。
構造は、南から北に延びた尾根先端のピークに東側に土塁・南面に石垣の残る主郭を置き、北斜面に三段の段郭を付帯させている。主郭背後となる南側尾根筋は東斜面に6条、西斜面に9条の竪堀を畝状に落とし、遮断を図っている。その南へ約60m細尾根が続き、小さな堀切が入っている。
北側段郭の下には、2条の堀切を連続させ、その先は約50mほぼ水平な細尾根が続き、北端で鉤型に西へ折れ、一段下がって水平な尾根が約40m延びる。さらに、北端の北東側約20m下に堀切を隔て、細尾根が約70m延び、先端は秋葉社が鎮座する平場で、見張り台と推測されている。
主郭部を除くと加工度は低く、水の手の維持や見張りを主な役割とする砦的な城でなかったかと想像される。この時代に地形複雑な山中を1.5kmも引水出来たものなのか ?

道 案 内
松本城の南東6.6km程に位置している。
松本城の東200m程の所にある国道143号の城東二丁目交差点を東へと県道67号線に入る。1.4km程東進した惣社交差点のY字路を右手に進み、さらに県道67号線を1.1km程道なりに走ると兎川寺交差点に至る。同交差点を右手し県道297号線に入り、南に650m程行き金華橋を渡る。橋の南詰めの交差点で左折し川沿いの道に入り1.3km程東進すると右手に橋が架かっている。そこで右折し途中クランクを経て130m程を南下すると右手に南方公民館があり、駐車させてもらい東南東250m程にある南方諏訪神社に向け歩き、神社を通り過ぎ130m程行ったブロック積みとカーブミラーのあるT字路で右に折れ山へ向かう。北麓から秋葉社に登る道がある。

山へ入るT字路

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主郭南側背後の竪堀群              主郭北下の段郭

 
主郭南側背後の堀切           鉤型尾根の北端

 
北東方向の尾根              秋葉社(見張り台)