女神岳城  No20203-10 (めがみだけじょう)       

二の郭と主郭の西面 南側の四重堀切

城郭の概要                  
別  名 : 別所城、別所山城、女神山城、
所在地 : 上田市野倉字女神岳
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 堀切、土塁、石積み、
訪城日 : 平成30年5月1日

歴   史

宝永年間 の「信濃国郡絵図」に斎藤源左衛門拠城とあり、慶長5年(1600)斎藤源左衛門が一揆を起こして女神岳城に拠り、真田氏に抵抗したとされ、その時のもう一つの拠点が馬伏城で、長野県町村誌にその事が記されている。
真田氏の配下であった土豪の斎藤氏が何故真田に反乱を企てたのか定かでなく、また、反乱の時期も第二次上田合戦中なのか、領主が信幸に替わった時なのかも分かっていない。
なお、最初の築城は鎌倉時代に勢力を誇った塩田北条氏の本拠・塩田城に近いことから、40あったと伝わる支城群の一つとして、この時代に築城され、真田昌幸が上田から松本への最短ルートである保福寺峠、三才山峠の喉もとを押さえる城として改修したものと考察されている。現存する遺構はその時のものとされる。


構造と感想
女神岳城は、標高927mの山容険しい女神岳の山頂に築かれている。
山頂は南北に細長く、北端の頂部に主郭を置き、その南側一段下に南面に土塁を伴った二の郭を連ね、それらの東下に三の郭が付帯している。三の郭の中央付近に内桝形虎口が開いている。これら三郭の周囲には石垣が積まれ、虎口も石垣造りで、往時は総石垣の城であったと思われるが、現状は各所に崩落がすすみ、崩落石の散乱が見られる。
北東に延びる支尾根には連続する三条の堀切と少し離れてもう一条堀切が入れられ、南側の尾根筋にも二の郭下の鞍部に四重堀切を入れ、城域が区画されている。
四重堀切から南側に延びる細尾根にも三ヵ所の平坦地があるが、遺構らしきものは認められず、城外と思われる。
この城への訪城は、神社への参道を登るが、それが尾根側面を約200mも一直線に直登するような山道であり、大変なきつさである。しかし、石垣や堀切など見所が多く、登城の苦労を忘れさせてくれる。

道 案 内
上信越自動車道の上田菅平インターを降りて国道144号の西方向に入る。国道144号を西に910m
程行った住吉交差点で右折し国道18号に入る。国道18号を5.4km程道なりに行った上塩尻東交差点を直進し、上田坂城バイパスに入る。650m先で千曲川を渡る。渡り終えて右にカーブした所の下之条北交差点で左折し築地バイパスに入り、1.9km程南進した宮島交差点を直進し県道65号線に入り、更に南に1.7km程行った下小島交差点で右折し県道177号線に入る。県道177号線を西に5km程行くと別所温泉駅前に至る。駅を越えたY字路で左手に進み県道177号線を道なりに温泉街を抜け、野倉集落を目指す。野倉地区に入ると右手に野倉民俗資料館があるが、その手前のT字路にある女神岳登山道の案内板に従い左折して800m程行くと女神岳登山道入口の案内板がる。路肩に2台程度の駐車スペースがある。入口から100m程東に入ると山手に小さな鳥居があり、その鳥居から直登の参道が尾根まで続く。尾根筋に出て右手に100m程行くと南端の四重堀切に至る。

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主郭の北方向             主郭北東隅の石垣


二の郭の土塁              三の郭の枡形虎口


北東支尾根の堀切           南尾根の平場