丸根城  No23211−05 (まるねじょう)       

半円状の空堀 主郭の土塁

城郭の概要                  
別  名 : 牛野城
所在地 : 豊田市野見町7丁目
築城年 : 室町時代末期
形  式 : 平城 
遺  構 : 土塁、堀、土橋、虎口
訪城日 : 平成26年9月28日

歴   史
丸根城は、室町時代末期に築かれたと云われるが、詳細は不明である。
なお、丸根宗勝が城主であった時に三河統一を目指した徳川家康により攻め落されている。

構造と感想
丸根城は、矢作川が豊田市街を抜けて最も狭くなる通称「鵜の首」と呼ばれる所の東岸、台地の先端に築かれている。城の西側は矢作川に面した崖地で、北側は台地続きになり、大規模な空堀を巡らし、南側は小さな谷が河川側から入り込み、それを天然の堀とし、自然地形を最大限に活かした外郭線を形成している。
郭は、断崖を背に南北約60m、東西約50mのほぼ方形の主郭を置き、その北東側に南北、東西とも約35mの「おにぎり状」の北曲輪を配している。北曲輪の北側から東側は、幅約10m、郭面からの深さ約6mの半円状の空堀に取り囲まれている。主郭と北曲輪の間は、幅約5m、深さ約4mに掘り割られ、東端が二股に分かれ左側が北曲輪を取り囲まく半円状の空堀に繋がり、右側の先は崖地となっている。
虎口は、北曲輪の半円状の空堀と主郭西側の矢作川に向かって下る空堀の間に架かる土橋を渡り、北曲輪の西隅部に突き当たって右に折れ、主郭の北西隅に入る形になっている。土橋を入った空間は、北曲輪、掘割、主郭土塁、主郭大手門、主郭空堀に囲まれた桝形となっており、北曲輪や主郭土塁上から進入した敵の背後や側面を突くことができる。掘割に逃げ込んでも北曲輪と主郭土塁上から側面攻撃を受けることになる。
北曲輪は、この外に城の北や東に対する備えの機能を担っており、この城の要の郭と云っても過言でない。

道 案 内
豊田市中心部より国道153号から国道301号と進み、矢作川を渡った加茂川橋西交差点を直進して2km程行った神池住宅東交差点で右折する。南方向に道なりに720m程行く左に大きくカーブして坂道となる手前で右手の細い道に入る。目の前に桜が植えられた城跡がある。駐車場もある。

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現地の縄張図

主郭北側の空堀

郭間の掘割