天花寺城  No24405−01 (てんげじじょう)       

主郭の土塁 空堀と土塁

城郭の概要                  
別  名 : 薗の御所
所在地 : 松阪市嬉野天花寺町字堀田
築城年 : 平安時代
形  式 : 台城
遺  構 : 土塁、空堀、堀切、井戸
訪城日 : 平成24年12月16日

歴   史
空堀
平安時代に薗大納言が築城し「薗の御所」と称されていた。鎌倉時代の源実朝の時には、久我三郎の居城となり、永享年間(15429〜41)の当主である修理太夫は、伊勢守護舟木光俊を攻めたが敗れ自害した。その子主計介は北畠政具に仕え、嘉吉元年(1441)曽原城主も兼ねて天花寺と号するようになった。そして、永禄12年(1569)織田信長の攻撃を受けると城は落城、廃城になった。
なお、一説には永禄年間(1558〜70)小次郎が居て信長の兵と戦い、元亀2年(1571)小次郎も討死し、城は廃城になったと云う。

構造と感想
一志平野の西側張り出す丘陵の先端部に築かれており、一志平野をよく見渡せる絶好の位置にある。
ラッパ状の台状地の全体が城跡で、北東隅と南東隅に城砦が構えられ、その間は小規模な土塁や溝で仕切られた大きな方形の区画が4区画ほど設けられている。発掘調査では、方形区画から恒常的な建物跡は見つかっておらず、戦時の宿営地であったと思われる。
山に入ると直ぐに東西面に土塁を伴った大きな空堀で区画された二郭があり、その東側に三角形の主郭が置かれている。南隅に外桝形の虎口が残っている。
堀も土塁も大規模なもので、西側以外の三方が崖地で、堅固な造りになっている。

道 案 内
伊勢自動車道の一志嬉野インターを降りて信号交差点を右折し県道67号線に入る。北に160m程行ったT字路で右折し県道145号線に入り、東に1.3km程行った天花寺町交差点で左折する。県道58号線に入り北に250m程行くと道が緩やかにカーブする付近の右側に山林に入る道がある。ここが登城口である。少し奥に入れば城跡である。
駐車スペースがなく、歩車道分離ブロックの切下げ部から歩道に入り駐車するほかない。

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  虎口           南側の崖地と段郭