殿島城  No20209−09 (とのしまじょう)       

模擬門 主郭北側の土塁と空堀

城郭の概要                  
別  名 : 本城
所在地 : 伊那市東春近中殿島字本城
築城年 : 文明年間か
形  式 : 平山城
遺  構 : 土塁、堀、竪堀、虎口、土橋
訪城日 : 平成30年3月18日

歴   史
殿島城の城暦等はほとんど不明であるが、天文年間(1532〜55)に春日城主伊那部但馬守重成の次男 重国が分家し、東春近に殿島城を築城して殿島大和守を名乗ったと云われる。
しかし、それ以前にも城があったようで、「諏訪御符札之古書」に符札を払った殿島の人物として文明18年(1486)に神林入道沙弥閑とあり、殿島城との関係が考えられている。
弘治2年(1556)武田信玄が伊那に侵攻した際、殿島大和守は最後まで抵抗したが力及ばず狐島にて磔にされた。上伊那八人衆の一人で、後に黒河内(長谷)の八人塚に葬られた。
その後の殿島城は、高遠城の支城の一つであったと考えられている。
大正6年(1917)東春近小学校運動場設置の為、堀の一部が埋められた。その後、学校農園として芋や野菜が作られていた時代もあった。昭和63年(1988)伊那市の公園として整備され、現在に至っている。

構造と感想
殿島城は、天竜川東岸、氾濫原より一段高い河岸段丘の断崖を要害として築かれている。
主郭(本城)は、大規模な土塁で囲まれた方形で、北側を3条、東側台地続きを3条、南側を2条の空堀で囲繞し、虎口を東北隅と南側に開き、南側には二郭(外城)が置かれた。二郭の南側から東側を2条の堀で囲繞した痕跡が残っている。さらに主郭と二郭を囲む外郭が設けられていたが、現在は住宅地となっており残存しない。
なお、主郭北側の外郭部に殿島大和守の墓が残っている。
主郭の周囲は土塁や堀がよく残っており、当時の厳重な防備を彷彿とさせる。

道 案 内
中央道の伊那インターを下りて県道87号線の南東方向に入る。そのまま南東方向に2.8km程行くと国道153号との水神橋西交差点に至る。その交差点を右折し天竜川沿いを4km程道なりに走ると春近大橋西交差点に至る。その交差点を左折し県道209号線に入り直ぐに春近大橋を渡る。橋を渡って320m程行った渡場交差点で県道は東に折れる。引き続き県道209号線を東に880m程進むと中殿島交差点に至る。そのまま直進し370m程登った所で右折し殿島住宅団地内に入る。
団地内を280m程南進した突き当たりで右折、その60m程先が城跡である。駐車場があり駐車可。

TOPへ 戻る




主郭西側土塁         主郭南西隅部土塁


主郭東側土塁と空堀           主郭南虎口


主郭内南西方向            殿島大和守之墓