白瀬城  No24325−01 (しらせじょう)       

北西側の土塁と切岸と空堀 北西側の空堀

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : いなべ市藤原町本郷
築城年 :
形  式 : 平山城
遺  構 : 土塁、空堀、虎口、井戸、
訪城日 : 平成25年2月23日

歴   史
城の規模から白瀬家代々の居城と考えられているが、江戸時代に記された『北勢軍記』によると、永禄4年(1561)城主近藤弾正左衛門吉綱は治田城主治田山城守に攻められ、滅ぼされたとある。
なお、城主近藤弾正左衛門吉綱については、『北勢軍記』以外に手掛かりがないようであるが、連歌師宗牧の『東国紀行』にある飛那井弾正と同人物と考えられなくもないとされる。

構造と感想
白瀬城は、員弁川の北岸の中森山山頂に築かれており、南は断崖、北は古保谷(こぼだに)に遮られた天然の要害である。
規模は、東西約190、南北約140メートルで、本丸とその北西側に二の丸、二の丸の南東側に二段の腰郭、本丸の南東側にも一段下がって三の丸が続き、東端は堀切が入れられている。そして、古保谷を隔てた北方には、多数の土塁や削平地、井戸跡等の遺構が存在し、武家集団の屋敷跡と考えられている。
本丸と二の丸間は、土塁と空堀で区画され、二の丸には南東面から北西面に土塁が設けられ、北西面には空堀を伴っている。南東面の中央付近には虎口が開き、外桝形を備えている。北東隅にも虎口が開き、内桝形と外桝形を重ねた構造をしている。また、北東隅には井戸跡とされる凹地が残る。
主郭部も屋敷跡も良好な遺構が残っているが、手入れがなされておらず、竹や樹木が茂っているので、やや観察し辛いのが難点である。

道 案 内
緑地
名神高速道関ヶ原インターを下りて国道365号を南方向に入る。南進して三重県に入って5km程で国道306号との交差点に至る。そこを直進し国道306号に入り2.2km程南進した本郷南口交差点で左折し、県道614号線に入る。県道614号線を北に1.7km程行ったT字交差点で右折し、東に道なりに1.4km程走ると左手の工業団地入口に三角形の緑地があり、東中森遺跡の説明板がある。その道路反対側が登城口である。本丸に鉄塔が建設されており、その管理道が登城路である。駐車は道路の余白。

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南西側の断崖        二の丸北東虎口と桝形空間

井戸跡