白瀬城 No24325−01 | (しらせじょう) |
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北西側の土塁と切岸と空堀 | 北西側の空堀 |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : |
所在地 : いなべ市藤原町本郷 |
築城年 : |
形 式 : 平山城 |
遺 構 : 土塁、空堀、虎口、井戸、 |
訪城日 : 平成25年2月23日 |
◆ 歴 史 |
城の規模から白瀬家代々の居城と考えられているが、江戸時代に記された『北勢軍記』によると、永禄4年(1561)城主近藤弾正左衛門吉綱は治田城主治田山城守に攻められ、滅ぼされたとある。 なお、城主近藤弾正左衛門吉綱については、『北勢軍記』以外に手掛かりがないようであるが、連歌師宗牧の『東国紀行』にある飛那井弾正と同人物と考えられなくもないとされる。 |
◆ 構造と感想 |
白瀬城は、員弁川の北岸の中森山山頂に築かれており、南は断崖、北は古保谷(こぼだに)に遮られた天然の要害である。 規模は、東西約190、南北約140メートルで、本丸とその北西側に二の丸、二の丸の南東側に二段の腰郭、本丸の南東側にも一段下がって三の丸が続き、東端は堀切が入れられている。そして、古保谷を隔てた北方には、多数の土塁や削平地、井戸跡等の遺構が存在し、武家集団の屋敷跡と考えられている。 本丸と二の丸間は、土塁と空堀で区画され、二の丸には南東面から北西面に土塁が設けられ、北西面には空堀を伴っている。南東面の中央付近には虎口が開き、外桝形を備えている。北東隅にも虎口が開き、内桝形と外桝形を重ねた構造をしている。また、北東隅には井戸跡とされる凹地が残る。 主郭部も屋敷跡も良好な遺構が残っているが、手入れがなされておらず、竹や樹木が茂っているので、やや観察し辛いのが難点である。 |
◆ 道 案 内 | ![]() 緑地 |
名神高速道関ヶ原インターを下りて国道365号を南方向に入る。南進して三重県に入って5km程で国道306号との交差点に至る。そこを直進し国道306号に入り2.2km程南進した本郷南口交差点で左折し、県道614号線に入る。県道614号線を北に1.7km程行ったT字交差点で右折し、東に道なりに1.4km程走ると左手の工業団地入口に三角形の緑地があり、東中森遺跡の説明板がある。その道路反対側が登城口である。本丸に鉄塔が建設されており、その管理道が登城路である。駐車は道路の余白。 |
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![]() ![]() 南西側の断崖 二の丸北東虎口と桝形空間 ![]() 井戸跡 |