玉城  No21362−02 (たまじょう)       

堀切 帯郭の土塁付き竪堀

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 不破郡関ヶ原町玉
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀
訪城日 : 平成23年5月2日

歴   史
玉城の築城年代や築城者については定かでないが、南北朝時代に佐竹義春が足利尊氏に追われここに砦を築いたと伝えられ、また、『岩手明泉寺記録』には「玉城 浜六兵衛 弘治年中(1555〜58)より岩手竹中家臣 杉山内蔵之介」とあるが、記述に関する詳細は不明とされる。
玉城は、江濃国境に位置しており、戦国期には重要な境目の城であったと思われるが、史料にその記述が殆ど見られないようである。 

構造と感想
関ヶ原は、古く不破の関が設けられたように都の東方の関門をなす交通の要衝で、東山道の北側に玉城が築かれた城山が、南側に松尾山城が築かれた松尾山が位置し、関ヶ原の合戦の折は城山の東麓に大谷吉継が、松尾山に小早川秀秋が布陣しており、このことからも東西交通を扼する要衝であったことが窺い知れる。
玉城は、南北にのびる城山の山頂部に広大な主郭を置き、西側に帯郭を付帯させている。東端は帯郭から一段下がって腰郭を設け大手が取り付いている。これらの郭は削塀も甘く、時代の古さを感じさせる。
しかし、南西端を遮断する堀切や東西斜面に穿たれた何本もの竪堀、また、帯郭に規則的に配された土塁を伴う竪堀は、明瞭であり改修により付加されたと思われる。これらの付加された防禦の方向から竹中氏と浅井氏が対峙していた時期の竹中氏の境目の砦遺構であると思われる。

道 案 内
名神高速道の関が原インターを下りて左折し国道365号へ入る。国道365号を590m程北進したの関が原西町交差点を直進し、さらに国道365号を道なりに2.2km程行った伊吹山口交差点を越えて直ぐの玉交差点で左折する。県道229号に入り道なりに1.1km程行った左手の胡麻の郷を越えた所で左折する。山に向かって260m程行き左折、直ぐ右折し350m程道なりに進んだ所で右折する。その先100m程行った峠に登り口の案内板がある。林道脇に駐車し、山道を15分程も登れば城跡である。

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上平寺城を望む          主郭の土塁