上ノ平城  No20383−01 (うえのたいらじょう)       

一の郭の北西方向 一・三の郭間の空堀

城郭の概要                  
別  名 : 丸山城、神之平城
所在地 : 上伊那郡箕輪町東箕輪
築城年 : 平安時代後期
形  式 : 平山城
遺  構 : 空堀、
訪城日 : 平成30年3月17日

歴   史
平安時代末に源為公によって築かれたと伝えられ、以後、為公の嫡流が代々居住したが、鎌倉時代中期には諏訪氏と同族の知久氏の拠るところとなり、知久信貞が承久の乱の後に下伊那の知久郷へ移ったため、廃城となったと考えられてきた。
しかし、平成10〜12年に行われた発掘調査で戦国時代(15世紀中頃〜16世紀中頃)の遺構や遺物が確認され、戦国時代にも城として機能していたことが明らかとなった。また、主郭跡の地中から大量の炭化物および焦土が出土していることから、何らかの理由により焼失したものと考えられている。また、同時期の遺構として、主郭と二の郭の間から空堀も確認された。

構造と感想
上ノ平城は、天竜川左岸の南小河内集落の背後に東から西に向け突き出してきた丘陵の先端部に築かれ、東西450m、南北200mほどの広い城域を持つ城砦である。
現在の城跡は、大半が農地となり、空堀の一部が辛うじて残る程度で開墾による改変が著しいようである。なお、先端部は、林地となっており、原形に近い状態を留めているように思われる。
城は連郭式で南北方向の5条の空堀により区画され、西から二の郭、一の郭(主郭)、三の郭、四の郭と呼ばれ、徐々に高さを増す。三の郭と四の郭は、中央を東西方向の180mもの長大な空堀で南北に区画されている。
現在は、一の堀、三の堀、東西方向の堀が残るのみで、土塁も全く見られない。

道 案 内
中央高速道伊北インタを下りて国道153号の北方向へ右折する。200m程先の「北大出・原」交差点で右折し東に1.2km程行き天竜川を渡る。天竜川を渡って150m程の「東西線入口」交差点で右折し県道19号線に入る。南に770m程行った「宮下」交差点で右折し引き続き県道19号線を進む。道なりに600m程行くとJA東箕輪支所前を通る。支所を通過した所の信号を左折し細い道に入る。320m程先で道は大きく左にカーブし、そこから70m程先の小さな案内板のあるT字路で左折する。その先250m程の所に説明板が設置されており、駐車もできる。説明板の背後が城跡である。

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現地の縄張り図

 
     二郭西側の空堀            主郭から東に伸びる空堀

 
二郭の南西方向             南面の切岸