安田城  No16362−02 (やすだじょう)       

本丸の虎口 二ノ丸の南方向

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 富山市(婦中町)婦中町安田字殿町割
築城年 : 天正13年(1585)
形  式 : 平城
遺  構 : 水堀、土塁、土橋、虎口、
訪城日 : 平成24年11月2日

歴   史
天正13年(1585)全国統一をめざす羽柴秀吉が越中国富山城主・佐々成政を攻めた際、秀吉は白鳥城を本陣とし、白鳥城にいた前田氏家臣・岡島一吉が安田城に移ったと云われており、安田城の築城もこの頃と考えられている。同年、成政は秀吉に降伏したが、新川郡は佐々領として残ったため、引き続き前田氏の前線拠点として使用された。天正15年(1587)成政が肥後に転封となり、越中一国は前田利家に与えられ、安田城には引き続き岡島氏が在城したと推測されている。
慶長2年(1597)利長は居城を守山城から富山城へ移し、一吉と片山伊賀を白鳥城に入れたが、一吉らは白鳥城は山が高く風当たりが強いことから、利長に願出て白鳥城を詰城とし、一里余り離れた安田城に居城したと伝わっている。
慶長4年(1599)利家が死去し、利長が家督を継ぎ金沢へ移ると、一吉も金沢へ帰り、代わりに代官・平野三郎左衛門が居城したが、後に三郎左衛門も金沢に帰還し、廃城になったと伝わっている。
なお、昭和52、3年に圃場整備に伴う発掘調査が行われ、江戸時代文化年間(1804〜18)に描かれた「安田古城之図」に一致する遺構が確認されたことから、全体像が分かる平城として全国的にも貴重な遺跡であるとして、昭和56年に国の史跡に指定され、平成2年〜4年度に史跡等活用特別事業が実施され「国指定史跡安田城跡 歴史の広場」として復元整備された。

構造と感想

安田城は、富山平野の西南部を南北に延びる呉羽丘陵の南東麓、井田川西岸の扇状地に築かれている。東西約150m、南北約240mの複郭の平城で、南北に本丸と二の丸が並び、二の丸の西に右郭が配され、三つの郭からなっている。
各郭の周囲には井田川から水を引き入れた幅の広い堀がめぐらされ、本丸の四周には高さ2.4mに復元できる土塁が廻っていた。二の丸は北側を除く三方、右郭は東側を除く三方を土塁で囲繞され、各郭間は土橋で連絡し、虎口は平入りとなっている。
中世城郭の平城がほぼ完全復元され、公園として開放されており、気軽に戦国期城郭の臨場感を味わえる貴重な城跡である。また、隣接して「史跡安田城跡資料館」が設けられ、出土した遺物なども展示されている。


道 案 内
北陸自動車道の富山西インターを降りて、県道41号線の北方向に入る。県道41号線を2.2km程北上した古沢交差点で右折し県道62号線に入り、東に1.8km程行った安田交差点で右折する。県道59号線に入り350m程先の北陸自動車道のガード手前で左折し、320m程東に進むと左手が城跡で公園の駐車場がある。

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鳥瞰図

 
 右郭の南西方向            右郭と二ノ丸の虎口