天神城  No20322-02 (てんじんじょう)       

主郭の南方向 主郭斜面の河原石積み

城郭の概要                  
別  名 : 天神林城、高呂城、,望月(旧)城、
所在地 : 佐久市(望月町)協和字本城
築城年 : 鎌倉時代
形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、石積み、虎口、
訪城日 : 平成29年11月17日

歴   史

天神城は、北東約1kmに位置する望月城の前代における望月氏の居城であったと云われる。望月氏の全盛期とされる鎌倉時代の望月三郎左近将監重隆の時代に天神城は築城されたと推測されている。
建武2年(1335)足利氏側の信濃守護・小笠原貞宗が小笠原経氏に命じ、望月城を攻め、落城させたと伝えられており、経氏に攻められて落城した望月城は、この天神城と推測されている。その後、望月氏は望月城を築いて居城とした。


構造と感想

天神城は、鹿曲川と八丁地川に挟まれ、その合流点に向け南から細長く延びた尾根上に築かれている。
細尾根に11条の堀切を入れ、南北に八つの郭を連ねた単純な連郭式の丘城で、北の先端から協和小学校付近までの長大な城域を持っていた。現在、南部は耕作地で改変され、北部の6つの郭が残る。北から二つ目の主郭と思われる削平地には、虎口の蔀と思われる土壇上に小さな祠が祀られ、南面には高さ5mもの土塁が付帯し、周囲の切岸には川原石が積まれている。南側の三つの郭は二段からなり西側が上段で、東側が下段となっている。堀切は相当埋まっているが、主郭北側や墓地南側の堀切がよく確認できる。


道 案 内
国道142号の望月交差点で北へ折れ県道151号線に入り、200m程先のT字路で右折し市道に入る。南に100m程先の国道142号の橋梁下に駐車する。そこから南に300m程行くと右手に天神城跡への案内板が出ている。

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発掘調査報告書より


主郭北側の堀切               堀切の竪堀


南三の郭の上段と下段      南三の郭南側の堀切