堂沢出城  No20201-04 (どうさわでじろ)       

一郭の北側土塁 二郭と一郭の段差

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 長野市若槻東条
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、空堀
訪城日 : 平成26年10月27日

歴   史
武田信玄と上杉謙信が奪い合いをした若槻山城の出城と推測されているが、城歴等の詳細は不明である。
平成15年(2003)に長野市立若槻小学校が実施した若槻山城探訪の帰り道に当時の6年1組の児童達が偶然発見した山城跡で、「信濃の山城と館」にも未掲載の城砦であり、「堂沢出城」と名付けられ、新たに長野県の遺跡台帳に掲載された。

構造と感想
居館である若槻里城と詰め城である若槻山城の中間付近の尾根上(標高540m付近)に築かれている。
縄張りは、背後にL字の空堀を穿ち、その下方に三段の郭を連ねた単純な構造で、上段の郭が最も広く、北側と西側に土塁を廻らせ、空堀からの高低差さを大きくしようとしている。上段の郭から2m程の落ち込みで舌状をした中段、下段が続くが、その東西側面は緩やかで、堀切などの防御施設は設けられておらず、全体的に防御性に乏しい造りである。

道 案 内
若槻山城の登り口から一つ先のカーブの所に堂沢出城の道標があり、そこから尾根を260m程下ると堂沢出城に至る。

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 背後の空堀