古瀬間城  No23211−06 (こせまじょう)       

櫓台 堀切より主郭方向

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 豊田市志賀町字城山
築城年 : 永正3年(1506)
形  式 : 平山城
遺  構 : 本丸、二の丸、腰郭、
訪城日 : 平成26年9月28日

歴   史
古瀬間城は、松平氏が高橋荘攻略の拠点として、永正3年(1506)に松平宗忠(長沢松平家)に築城させたとされ、天正18年(1590)の徳川家康の関東移封に伴い、この城は廃城になったと云われる。
なお、宗忠は松平宗家三代松平信光より分かれた勝宗の子で、城址北麓の浄願寺には宗忠のものと伝えられる墓が建っている。
また、足助城主鈴木左京亮重政が築城し、在城としたとの説もある。

構造と感想
瀬古間城は、南側を走る新城街道を見下す標高101.9mの丘の上に築かれており、丸根城とともに松平氏の矢作川東岸における重要拠点で西方の要の城であり、新城街道で新城や足助街道を経て足助、更には飯田街道を経て飯田に抜けることが出来る交通の要衝でもあった。
主郭は南北40m、東西32mの規模で東へ先細りの形状をし、東北隅に櫓台と思われる一段高い土壇がある。北、西、南面には2、3段の腰郭が巡っている。主郭東下には堀切状になった部分があり、堀切あるいは郭の機能を持っていたと思われる。

道 案 内
豊田市中心部より国道153号から国道301号と東進し、矢作川を渡った加茂川橋西交差点を直進する。3.2km程行った浜居場住宅南交差点を280m程通り過ぎた「志賀町バス停」付近のT字路で左折する。道なりに350m程北上すると右手に浄願寺があり、寺の右手の丘が城跡である。寺に参拝者用無料駐車場があり、城跡へはお寺に入った右側から登る。

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 現地の縄張図


         <模擬櫓>   →

腰郭と切岸