小野城 No21205−01 | (おのじょう) |
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東尾根の石垣 | 南西尾根の堀切(断崖) |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : 本城山城 栃洞山城 |
所在地 : 関市小野、美濃市樋ヶ洞 |
築城年 : 戦国期 |
形 式 : 山城 |
遺 構 : 堀切、竪堀、土塁、石垣、井戸 |
訪城日 : 平成27年3月14日 |
◆ 歴 史 | ![]() 主郭東面の帯郭 |
小野城は斎藤八郎左衛門宗久が城主で、天文23年(1554)に廃城になったという伝承や、山論の記録文書に大永7年(1527)に廃城になったと記されているが、詳細は定かではないものの美濃守護代一族斎藤氏の居城として、おおよそ大永年間前後に機能していたと考えられている。 なお、大永7年頃は長井新左衛門尉から長井新九郎規秀(斎藤道三)に代替わりした時期で、天文23年は道三の嫡子義龍が家督を譲られて稲葉山城主になったとされる頃で、美濃国の実権が後斎藤氏(京都妙覚寺の寺僧あるいは油商であったと云われる家系)によって、守護代一族斎藤氏が侵食され始めたか、乗っ取られてしまった時期にあたるようである。 |
◆ 構造と感想 |
山頂を中心に東西約500m、南北約300mの範囲に遺構が広がる相当大規模な山城である。 山頂に東西約45m、南北約17mの二段築成の主郭を置き、南西隅に東西約30m、南北約5mの上段があり、大きな岩が露出しやや地形の制約を受けているが、周囲の景色を一望できる立地にある。 主郭西側には一段下がって主郭と同規模の副郭を配し、主郭と副郭の東側から北側にかけて帯郭が付帯し、仕切りには石垣が築かれている。さらに東面下方には幾段もの腰郭が続き、その先端から東に延びる細い支尾根にも連郭式に三段の削平地を設けて、先端を二重堀切で遮断している。堀切の外側は100m以上自然地形が続いた先の頂部が削平され、土塁と堀切によって東方尾根続きへの防御が図られている。また、北に延びる支尾根も同様に削平地を設けているが、堀切は見られない。 主郭背後の南斜面は急で、南西にのびる痩せ尾根も岩磐が切り立つ部分で、強固な遮断線となっている。 城跡は全く手入れされておらず、頂上近くで道がなくなり、最後は険しい斜面を直登し、漸く主郭に辿り着くことが出来たが、遺構は切岸による防御に依存する古い形式を示している。 |
◆ 道 案 内 |
東海北陸道の美濃インターを下りた美濃IC口交差点を右折し県道94号線に入り、東に450m程行った下松森交差点で左折する。国道156号に入り北に400m程行った松森交差点で斜め右に進み、そこから1.2km程北上した米屋町交差点で右折する。東90m程先の広岡町交差点で右折し県道80号線に入り、南東に260m程行った左手にクリニックのある信号交差点で左折する。さらに県道80号線を道なりに1.3km程行くとY字路があり右手の県道286号線へ入る。県道286号線をゴルフ場のシーダーヒルズカントリークラブを目指し道なりに3.6km程行き、左手の常栄寺を過ぎたT字路で左折する。北に630m程行った小河川手前のY字路で右手に進み、480m程北上すると右手に防火水槽とお堂があり、道路左側に小さな本城山登り口の案内板が立っている。お堂の左脇から奥に入り、左手の山裾に向かって行くとまた小さな案内板があり、左手に竹薮から登り道が続いている。 |
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![]() ![]() 遠景とお堂 登り口 ![]() ![]() 主郭の上段 東尾根の堀切 |