大塩城  No18204−01 (おおしおじょう)       

主郭の下段から上段を見る 主郭南側の障子堀状の堀切

城郭の概要                  
別  名 : 田縄城
所在地 : 小浜市口田縄
築城年 : 文明元年(1469)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、虎口、
訪城日 : 平成27年11月7日

歴   史
大塩城は、文明元年(1469)に若狭守護武田氏の家臣である大塩吉信が築き、代々長門守を名乗り、吉信・吉次・吉忠・助秀と4代続いたとされる。なお、『口名田村誌』では寛正6年(1465)築城とされている。
元々、大塩氏は播磨の赤松氏に従っていた国人であったが、嘉吉の乱(1441)による赤松氏衰退を期に若狭武田氏に従ったされる。
家臣間の対立を背景に武田信豊・義統の親子間の争いが起こり、永禄5年(1562)大塩助秀は義統方の湯岡城主・南部久方と戦い敗れ、その後は義統を支援する朝倉氏に反発する若狭国人衆の中心勢力であった国吉城の粟屋氏を頼り、逸見氏等と行動を共にした。朝倉氏滅亡後は織田信長に従ったようである。

構造と感想
丹波街道を西麓に見下す大光寺の裏山標高134.6mの山頂に築かれている。
規模は、山頂に構えられた南北約100m、東西70mの主郭を中心に、南北約350m、東西は最大巾で約150mの城域を持つ。
主郭は、南北二つの郭から成り、北郭が一段低く虎口郭で、南側の祠が建つ上段が本郭であろう。両郭とも四囲に土塁が巡らされ、郭の一部を張り出させた横矢折れがそれぞれ二か所設けられている。東側の緩斜面には帯郭を付属させている。そして背後の南側には大きく落ち込む堀切があって、四本の土橋が堀切を五つに区画しており、障子堀のような形状になっており、関西では珍しい遺構とされる。主郭北側に延びる尾根にも連続する削平地、堀切を挟んだ南側にも広大な削平地が広がっている。
遺構は風化が進んでいるようで、鋭さは感じられないが、容易に確認出来る状態にある。なお、麓の大光寺は大塩氏の菩提寺で、館や館ノ口という小字名が残っている。

道 案 内
舞鶴若狭自動車道の小浜インターを降りて直ぐの小浜IC交差点を直進し県道267号線に入る。660m程南進すると小浜IC口交差点に至り、そこで右折し国道27号に入る。490m程西進すると湯岡橋東詰交差点に至り、そこで左折して国道162号に入る。川沿いを南西に4.5km程進むと左側に小浜市総合運動場がある。その先510m程行くと左側がコンピニで、コンビニを越えた所のY字路で左手の細い道に入る。Y字路に集落の案内標識と大塩城の案内がある。集落内を210m程走り、左折し突き当たりまで100m程進むと大光寺で、寺の右側の墓地の左最奥から山に入り、すぐ左手に登る道がある。

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主郭北西隅の虎口と城道       主郭北西隅の横矢折れ


主郭南東隅の土塁           堀切