阿尾城  No16205−02 (あおじょう)       

本丸 二ノ丸

城郭の概要                  
別  名 : 大ヶ崎の城、氷見城、青城、青生城、青野城、
所在地 : 氷見市阿尾字城山
築城年 : 戦国期
形  式 : 平山城
遺  構 : 堀切、土塁、土橋、
訪城日 : 平成22年6月27日

歴   史
阿尾城の築城年代や築城者については定かでないが、発掘調査では伝二の丸、伝三の丸から中世の土器・陶磁器類が多数出土し、また、伝本丸には櫓があったと伝えられ、ここで海上交通を監視していたと推測されている。
出土遺物から15世紀後半頃に城としての利用が始まったと推定でき、天正・文禄年間(1573〜96)頃には菊地右衛門入道・十六郎父子が居城していた。
菊池氏は上杉氏に属していたが、謙信没後の天正8年(1580)に織田方に与し、信長より知行安堵状を得ている。その後、信長から越中を与えられた佐々成政が富山城に入ると、菊池氏は成政に従うことになる。
しかし、成政が能登前田氏と敵対するようになると、前田氏に寝返り一万石を安堵された。天正13年(1585)には佐々方の守山城主神保氏張に攻められたが、前田氏重臣の村井長頼の奮戦により神保勢を撃退している。その後、慶長年間の初め(1597年頃)には廃城になり、菊池氏の子孫は前田氏の家臣として代々仕えた。

構造と感想
阿尾城は、灘浦海岸最南端、旧氷見町北端に位置し、富山湾に突き出した阿尾岬の標高20〜40mの丘陵上に築かれている。丘陵の西側が陸続きで他の三方は海に囲まれ、丘陵の四周は断崖絶壁の要害である。また越中と能登を結ぶ陸上と海上の交通路を掌握できる要地でもあった。
構造は、展望台のある丘陵先端が二段からなる本丸で、中央付近にある白峰社の南側下方に二の丸、二ノ丸の西側に三の丸が配され、この二ノ丸と三ノ丸一帯が城の中心部あったとされる。本丸、白峰社、丘陵西端の榊葉乎布神社を結ぶ尾根筋は、土橋で連絡しており、所々に堀切が入れられている。
登城口は、北西の山裾からの神社参道で、入口に大きな城址碑が建てられ、駐車場脇に案内板も整備されている。本丸にある展望台からは富山湾を一望でき、素晴らしい眺望である。

道 案 内
能越道の氷見北インタを降りて県道304号線の東方向に入る。県道304号線を390m程東進し稲積交差点で左折して国道160号線氷見バイパスに入り、北に1.4km程行った阿尾交差点で右折し県道18号線に入る。南に260m程行くと阿尾城跡口交差点があり、そこを左折し、北東に150m程行くと一つ目の十字路があり、そこを右折して110m程東進した右手に白峰社の鳥居と大きな城址碑がある。鳥居の右手が駐車場である。

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長土橋                 堀切