長窪城  No20342-01 (ながくぼじょう)       

主郭と二の郭 二の郭北側の堀切

城郭の概要                  
別  名 : 深山城、城、霞ノ尾城、
所在地 : 小県郡長和町古町字北小屋3747−2
築城年 : 応永年間(1394〜1428)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、石積み、井戸、
訪城日 : 平成28年11月13日

歴   史

室町時代の応永年間(1394〜1428)に大井氏または芦田氏(依田氏)によって築かれたと云われている。
天文12年(1543)甲斐の武田晴信(のちの信玄)に攻められ、相木昌朝や芦田信守が内応したため、城主の大井貞隆は降伏し捕らえられ、以後、武田氏が北信、東進に侵攻するための前進基地とした。
天正10年(1582)武田氏が滅亡すると小県郡は真田昌幸が領有し、天正11年(1583)昌幸が上田城を築き、配下の武士を上田城下に集住させたことにより長窪城は廃城となった。


構造と感想

長窪城は東の山塊から南へ向け張り出した細尾根に築かれており、東裾から南裾にかけて赤頭川が流下している。
北側が搦手で5条の堀切を入れ細尾根を切断している。堀切の間には小郭が設けられているようだが一面笹に覆われ見えない。堀切を経て二の郭、一段高い主郭が続く。その南側は堀切で区画されている。堀切から先端は急傾斜で下り、不明瞭な小郭や岩場、堀切が設けられている。先端の裾には馬屋跡の広い削平地がある。馬屋から西に進むと大手口に至る。
東斜面は急崖で、裾には赤頭川が流れ天然の堀をなし、南、西も急斜面で、搦手の尾根西斜面がやや緩やであり、竪堀2本を裾まで落とし、防御している。西側眼下に長門一帯をおさめる要害である。


道 案 内

上田市街より国道142号を南下し、長和町の道の駅「マルメロの駅」手前の依田窪病院入口交差点で左折し国道254号に入る。国道254号を東に1.2km程行ったU字カーブを過ぎた所に小さい案内標識があり、そこを右折する。林道を540m程入った所の道端に説明板が立てられている。そこが搦手からの入口で、堀切を見ながら主郭まで行くことができる。駐車スペース1台有り。


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主郭東面の土塁              主郭肩の石積み


南一の郭の岸壁            山麓の馬屋跡