槙本城  No23544−01 (まきもとじょう)       

主郭の西方向 主郭の南東虎口

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 豊田市(旧旭町)槙本町大屋敷
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 堀・竪堀・堀切・虎口・土塁
訪城日 : 平成31年3月22日

歴   史
城主については、『旭町誌』に「松井左近某と伝えるが由緒不詳」とある。
城はもともと介木郷内の村を支配した有力領主によって築かれたと考えられており、その後、元亀2年(1571)武田信玄が武節(稲武)から日下部峠を越して西三河に侵入し、その際に槙本城も攻撃を受けたと伝えられ、その後天正元年(1573)末に松平(徳川)家康の軍に駆逐されるまでの約 3 年間、足助は武田に属した信濃伊那地方の下条信氏らの占領下にあった時や 天正12年(1585)の小牧・長久手の戦に際して徳川家康が秀吉方の美濃の森氏に備えるため、槙本城に改修が加えられたと考えられている。

構造と感想
介木川左岸の南北に伸びる丘陵の北端部 標高450m、比高45mの独立丘状の頂部に築かれた山城である。かつては介木川沿いの街道が丘陵の鞍部を越えて美濃・三河・信濃を結んでおり、この街道を押さえるための城であった。
槙本神明社が建つ最高所が主郭で、東方が一段下がって2段になっている。さらに東下一段下に東辺に土塁を伴った小さな武者隠しが連なる。これらの北下に帯郭、南下から南西下に二郭があり、帯郭は東と西の端で竪堀を落とし区画している。二郭から南西に伸びる尾根には三条の堀切を入れ厳重に遮断している。
主郭の南東隅と北西隅に虎口が開き、北西の虎口を出ると一段下がって虎口受けの小テラスがあり、左にUターンするように二郭へ降りて行く。南東の虎口を出ると主郭の下段、武者隠しの下方を通り、帯郭東端の堀切と南東斜面を落ちる短い堀切に挟まれた土橋状通路を通り馬出しに至る。馬出しは、西側の前記の短い堀切と東側の南東に落ちる短い堀切に挟まれ、土橋状通路を経て尾根に出る。帯郭の北下方には三条の竪堀や一本の竪土塁が設けられている。
小規模な城郭ではあるが、巧みな造りの遺構がよく残存しており、見応えのある城である。

道 案 内
猿投グリーンロードの力石インターを下りて国道153号の北東方向の足助町方面に入る。国道153号を9km程走った足助大橋西交差点で(右折すると足助中心部に入る。)直進する。さらに10km程道なりに進むと右手に明川郵便局があり、郵便局から290m程先の明川交差点で左折し県道366号線に入る。県道366号線を3.5km程北上すると県道が大きく右にカーブする所の左手に左折できる道が二か所あり、その二ヵ所目で左折して230m程登って行くと槙本神明社に至る。そこが城跡である。

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登り口        二郭西方向   


二郭西下の堀切        奥の馬出しへの通路


馬出し入口を東より       馬出し東側の竪堀


帯郭東端の竪堀      帯郭を見下ろす


北斜面の竪土塁