今井城  No20217-19 (いまいじょう)       

主郭西方向と朽ちた標柱 主郭・二郭間の空堀

城郭の概要                  
別  名 : 兼平・兼光館
所在地 : 佐久市今井字城
築城年 : 不明
形  式 : 崖淵城
遺  構 : 堀、
訪城日 : 平成29年11月18日

歴   史

『南佐久郡誌』に『村名が「今井」であること、集落の西方に「義仲屋敷」と伝承される地があること、また、二郭内にあった羽黒神社が今井四郎兼平の氏神であったと伝えられることなどから、今井城を木曽義仲の武将・今井四郎兼平の居城とする説がある。』と記されている。
だが兼平の本貫地として長野県では、岡谷市、松本市、佐久市、長野市の4地点の今井地籍が比定されている。この中で兼平の父や兄弟の根拠地が木曽や伊那である事を考えると岡谷市が本貫地として最も妥当であると考えられている。
しかし、現在に残る縄張りは、木曾義仲の滅亡と共に没落した根井氏の後に入部した大井氏関連の崖淵城と考えられている。


構造と感想
今井城は、今井集落の西南の千曲川と小さな支流によって浸食された三角形の台地上に築かれており、北と南側は30m近い断崖となっている。東側が台地続きで三重に空堀を入れて広大な三つの郭を設けていた。
現在は、地籍「城」の西端の三角形の主郭とその東側の二郭を区画していた空堀跡が微かに残るが、三郭を区画していた空堀は完全に消滅している。
主郭の東北隅に土壇があり、鬼門除けとみられる祠がある。二郭の崖上にあったと伝えられる羽黒社は、現在 今井新海社に移されている。「馬場」の地名が残っている三郭には「馬乗り石」と呼ばれる大石も残っているようである。城跡は耕作地として利用されており、ほぼ消滅に近い状態である。

道 案 内
中部横断道の佐久中佐都インターを降りたT字路を左折し北に120m程行くと佐久中佐都I.C北交差点に至る。そこで右折し県道154号線に入り、東に230m程行った平塚橋西交差点で右折し、県道139号線に入る。県道139号線を南に道なりに1.6km程走ると県道103号線との横和交差点に至る。そこを直進して更に県道139号線を南に340m程行くと三河田バス停があり、そこから200m程先で道は右に大きくカーブする。カーブに入って100m程の所に十字路があり、そこで右折し細い道に入る。細い道を西に240m程行ったT字路で左折し、40m程先のT字路で今度は右折する。西に120m程行った突き当りでの先が城跡である。

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主郭・二郭間空堀の南端            北側の谷

 
千曲川を見下す         二郭北側の空堀