八太城  No24403−02 (はたじょう)       

主郭西方向 主郭西側の土塁

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 津市一志町八太字板取谷
築城年 : 永禄年間(1558-70)
形  式 : 平山城
遺  構 : 土塁、堀切
訪城日 : 平成24年12月16日

歴   史
永禄年間(1558〜70)の頃、八太城は田上讃岐守とその子右近の居城であった。田上氏は、南勢の雄北畠氏に属していた。しかし、天正4年(1576)北畠氏が織田信長に滅ばされると、羽柴秀吉に仕え、その後、城は北畠信雄により日置大膳亮に与えられ、天正12年(1584)には秀吉が蒲生氏郷の与力生駒弥五左衛門をこの城に入れている。
なお、右近の子兵衛尉は文禄元年(1592)朝鮮の役で戦死し、田上氏は断絶している。

構造と感想
比高50m程の平山城で、南山麓を通る初瀬街道(旧道)を押さえる重要な城砦であった。
構造は、頂部に良く削平された方形の主郭を置き、西側に低い土塁を付帯させている。主郭の西側と北側に堀切が入れられている。北側は堀切と云うより自然の鞍部で、二か所のピークは見張り台状の土壇になっている。

道 案 内
北側の土壇
伊勢自動車道の一志嬉野インターを降りて信号交差点を右折し、県道67号線に入る。県道67号線を北に1.3km程行って名松線を渡り、その先300m程の信号交差点で左折する。初瀬街道に入り西に1.2km程行った波瀬川の東側堤防で駐車する。140m程戻り右手の製材所を通り抜け裏の焼却炉の所からJR名松線を渡り、前の擁壁に設けられた階段を上がった山神様の所から登って行くと城跡に至る。   

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