的場城  No20209−04 (まとばじょう)       

主郭の南方向 主郭北側の竪堀と空堀

城郭の概要                  
別  名 : 的場の城山
所在地 : 伊那市高遠町的場字城山
築城年 : 室町中期〜後期
形  式 : 山城(910m/150m)
遺  構 : 土塁,郭,堀
訪城日 : 平成30年3月18日

歴   史
的場城に関して記された史料が未発見のため、築城時期や築城者等は不明であるが、この地を領した諏訪神氏の流れを汲む高遠氏によって築かれたとみられている。的場城は、藤沢川に沿った杖突街道の北側の山上に位置し、南側の高遠城とともに街道を押さえ、さらに高遠城の北方を護る城砦であったと思われている。
天文14年(1545)、武田氏の「伊那侵攻」を受けて高遠頼継は自落し、高遠の地は武田氏の支配下に入った。この際、伊那谷の拠点として高遠城が改修され、その支城とするため的場城も改修され利用されたと考えられている。
天正10年(1582)織田勢の攻撃を受けて高遠城が落城した際、的場城も共に落城し、追って廃城になったと推測されている。

構造と感想
的場城は、不動峰から南に張り出す支脈上にある「城山」の頂部から少し下った標高910mのピークに主郭を置き、南下方に向け二郭、三郭が築かれている。背後は北東へ長土橋が伸び、その北東側に二ヵ所の削平地が設けられ、北端で堀切が尾根続きを遮断している。また、この削平地の東下方には、水溜が設けられている。
主郭は三角形で土塁は付帯しておらず、斜面の北隅から東隅にかけて空堀が巡り、西側から南西隅にかけ帯郭が取り巻いている。城内道は、この帯郭から空堀を経て、南東隅の虎口へと通じている。二郭は、北側を除く三方に土塁が付帯し、虎口が西面中央に開く。その南側に通路状の細長い削平地を経て城内で最も広い三郭が続く。三郭の南面と東面の中央には虎口が開き、土塁が巡っている。二郭と三郭の周囲は、三郭の東側中央付近から南側、西側へと空堀が巡り、残る東側は帯郭となっている。主郭から三郭を取り巻く空堀や帯郭から多数の竪堀が落としている。
的場城は、郭群から空堀や帯郭への横矢が掛かり、さらに多数の竪堀で斜面の横移動を抑えており、防備の優れた構造となっている。

道 案 内
中央道伊那インターを下り県道87号線の南東方向に入る。そのまま南東方向に2.8km程行くと国道153号との水神橋西交差点に至る。その交差点を右折し1.1km程南西方向に走り入舟交差点で左折し国道361号に入ると直ぐに大橋を渡る。引き続き国道361号を東に進み、8.9km程先が高遠町中心部で、左手に高遠郵便局のあるT字路を左折し、高遠スケッチ街道に入る。380m程先の左手が蓮華寺で、寺の北背後の山が城山である。
寺の墓地の奥に「絵島生島事件」で有名な「絵島の墓」があり、その墓の右奥に鹿除け柵の扉がある。ここを入ると水路があり、右手に水路沿いを180m程進み、水路に架かる小橋(下の写真)を渡って山を登ると城跡に至る。蓮華寺駐車場を借用させていただいた。

;登り口       ;城跡 TOPへ 戻る

 
登り口           主郭の虎口

 
北端の堀切と土橋           主郭背後の長土橋と四郭

 
二郭南方向            二郭の虎口

 
三郭の南方向        三郭東面の土塁

 
三郭の虎口外から         三郭西側の空堀(横堀)