政元城  No21625−03 (まさもとじょう)       

本丸・二の丸間の堀切 本丸と腰郭

城郭の概要                  
別  名 : 山田城、正元城
所在地 : 飛騨市神岡町西字政本
築城年 : 戦国期
形  式 : 丘城
遺  構 : 堀切、土橋、土塁、
訪城日 : 平成23年9月24日

歴   史
伝説によれば、平治年間(1159〜60)悪源太義平が傘松城に拠った時、その家来の正本主馬と云うものがここに城砦を築いたのが始まりと云う。
その後、永禄・元亀(1558〜1573)の頃、江馬氏の家臣吉村斉右衛門政元、その長子吉右衛門政延が城代として居城していたが、天正10年(1582)の江馬氏滅亡と共に落城したと云われる。

構造と感想

「江馬氏城館跡」として下館や高原諏訪城・土城・寺林城・政元城・洞城・石神城と共に国指定史跡となっている。
この地は、越中東街道と数河街道が合流する交通の要衝で、数河峠を越えると宿敵三木氏の支配地域であり、南方の三木氏の動向を監視する重要な城砦であったと思われる。
大国寺西側の丘の上に築かれており、頂部に本丸を置き、その周囲に腰郭を巡らせている。本丸西側には堀切を隔てて二の丸を、南側に一段下がって出丸を配している。
さらに二の丸から南西へ堀切を越えて標高834mの頂部に詰城と考えられているj城郭遺構が残っているようであるが、雑草が繁茂しており登っていない。
この城は境目の城にあたるが、それにしては切岸はあまく、堀切も浅く、他の防御施設も設けられておらず、規模も小さい簡単な構造の城砦であり、立地関係からして理解し難い城砦である。


道 案 内
国道41号を高山から北上して来ると数河高原を越え流葉スキー場前で国道は大きく急なS字カーブになり下り坂となる。カーブを出て260m程下ると左手に「P」標識の掲げられた駐車スペースがあり、その対面の細い下り坂の道に右折する。細い坂道を1.2km程行くと十字路で、そこで右折する。そこから550m程先の右手に大国寺があり、その裏手の山が城跡である。お寺の裏手に駐車場がある。

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