熊城  No19201−04 (くまじょう)       

主郭の石垣 西端の堀切

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 甲府市上積翠寺町
築城年 :
形  式 : 山城 
遺  構 : 土塁、堀切、畝状竪堀、石垣、虎口、
訪城日 : 平成22年11月21日

歴   史
熊城は、要害山城の南東方面を守る支城で、永正17年(1519)武田信虎が躑躅ケ崎館を築き、石和の川田館より移り、翌年に詰め城として要害山城を築いたとされ、同時期あるいは天正4年(1576)の勝頼の要害山城改修の際に築かれたと推測されるが、築城年代や築城者については史料がなく明確でない。また、廃城時期についても武田氏が滅亡した時あるいは天正壬午の乱後とも考えられ定かでない。

構造と感想
熊城は谷を挟んだ要害山城の南東尾根上にある支城と考えられ、要害山城の搦手から尾根伝いの登山道を10分程行き、案内板のたつ三叉路で右の深草観音方面への道へ進む。しばらく山腹の道を行くと右手に南西に向け尾根が下っている。山腹道の右脇には「土管のすいがら入れ」が立っているので、そこで右折して尾根筋を下ると10分程で大きな堀切に到達する。そこからが熊城の城域で、そのまま城域を通り南西へ下って行くと山麓の石切り場跡に出る。そこから5分程川沿いに西へ歩くと右手に「武田の杜遊歩道案内板」があり、この横を登っていくと途中で要害山城の登城道と合流する。要害山城の登城口まで15分程で戻れる。
熊城の縄張りは、東側背後の尾根筋を2条の大堀切で断ち切り、城域の西端も岩場を掘削した大堀切で遮断している。この堀切間の頂部に二段に分かれ周囲に帯郭を付帯させた主郭を置き、主郭から西に向かって下る細尾根に階段状に小曲輪を連ねている。主郭をはじめ小曲輪の南側に土塁を設け、北側に通路を通している。南側斜面には10本を超える畝状竪堀を落としており、南方への備えを厳重にしている。主郭側面を中心に小曲輪の各所に石垣が残存している。

道 案 内
要害山城がある尾根の南西側に谷を挟んで南西に延びる尾根があり、その尾根に熊城が築かれているので、要害山城からU字状に右に回り込むルートがおすすめである。
<<要害山城の案内>>
中央自動車道の甲府南インターを下りた甲府南IC入口交差点を左折し国道358号に入り、道なりに8.6km程行った右手に甲府警察署と甲府市役所があり、そこの甲府警察署前交差点を右折する。東に100m程行った甲府警察署東交差点で左折し、県道31号線に入る。北に350m程行くと右手に甲府城が見え、その先の中央本線の陸橋を渡り、最初の信号交差点で左折し、120m程先の甲府駅北口交差点を右折する。JR甲府駅北側の県道31号線(武田通り)を真直ぐ2.1km行くと武田神社に至る。神社前で左折し神社の南西隅で右折して県道31号線を道なりに3.1km程行くと右手に橋があり、川向こうに積翠寺温泉「要害」というホテルがある。ここに登山口がある。

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主郭の上段と下段        主郭の土塁

 
畝状竪堀        東端の堀切