大桑城  No23543−01 (おおくわじょう)       

主郭の北方向 主郭への土橋と虎口

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 豊田市(旧下山村)大桑町字コンデ嶋
築城年 :
形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、横堀、土橋、
訪城日 : 平成31年3月21日

歴   史
『三河国二葉松』に、「大桑村古屋敷 河合弥十郎」と記されているが、築城の時期、築城者等は明らかになっていない。
『東照軍艦』に、天正19年(1550)駿河の今川義元、竹千代(のちの徳川家康)に従わない者の中に「弥十郎」の名が記されている。永禄8年(1565)家康が大沼、田代へ出陣した際、大沼城主松平貞友を差し向け、弥十郎を引き付けて帰陣したとある。その後、天正2年(1574)武田勝頼が東濃・北三河に侵攻した際に、攻め落とされたと云われている。

構造と感想
巴川と大桑川の合流点に向け南から張り出してきた尾根先端の標高440m、比高40mの独立丘状の頂部に築かれた丘城である。規模は東西80m、南北60mで、単郭構造の小規模な城郭である。主郭は、隅丸の三角形をしており、周囲を土塁と空堀が囲繞している。尾根続きとなる南側の土塁と空堀の高低差は約6m、土塁基底部約3m、空堀上幅約8mと相当な規模である。南辺は両サイドが張り出し、中央に開く虎口部分で空堀と土塁を屈曲させ凹ませている。また、虎口前には土橋と横長の馬出しを設け、相横矢を掛ける造りとしていたようだが、現状では馬出しは判然としない。空堀も南側以外は帯郭と判別しずらい状態である。
しかし、土橋から虎口付近の巧みな縄張りは、なかなかの見応えで完存状態である。

道 案 内
豊田市中心部より国道301号を東進し旧下山村に向かう。左手にガソリンスタンドやコンビニ、食堂がある根崎交差点で左折し県道77号線に入る。700m程行くと下山支所北(旧下山村役場)交差点を通過し、次のT字路で直進し県道363号線に入る。220m程先のY字路で右手に進み、引き続き県道363号線を4.4km程道なりに東進するとT字路があり、そこを直進すると国道473号となる。1km程東進して巴川を渡り直ぐのT字路で右折し、県道363号線に入る。100m程先の右手に「巴ケ丘小学校」の案内標柱がある信号交差点で右折する。150m程進むと右手に駐車場があり、大桑城の説明板が設置されている。そこから階段を登り、小学校の裏手を通り、山道に入ると少しで城跡となる。

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南辺の虎口と土塁             土橋横の空堀